第146話 坂の途中【6】
文字数 1,393文字
南大沢の大学の一室で、僕は講義が始まる前に、自然に面した方の窓ガラスを開けることに決めていた。
風が快い。
そんななか、いつも三十分は遅れて現れるミヤダイは何事もなかったかのように講義を始めるのが常だった。
習うは政治社会学に分類されるジャンルだ。
具体的には社会システム理論。
ニクラス・ルーマンの社会システム理論は、オートポイエーシスをその自らの理論に導入して出来ている。
生命の有機構成。
社会システム理論の〈有機体システム〉は、無機的なシステムではなく、有機的なシステムとして記述され、それは細胞と細胞膜の比喩で語られることが多い。
「社会学で偉い学者の上位三名を挙げろ、と言われたら、一位はカール・マルクス。二位はマックスウェーバー。三位がニクラス・ルーマンだ」
ミヤダイはそう、説明した。
「宗教システムをシステム理論で記述すると、〈前提を欠いた偶発性を馴致するシステム〉、となる」
などなど、グランドセオリーのひとつである社会システム理論、その概論を生徒や聴講生たちに教えていく。
☆
ある日のこと。
生徒が捌けたところで僕はミヤダイに、
「僕はこれからなにをすれば良いのでしょうか」
というざっくりとしたことを言ってしまった。
ざっくりしすぎだろう。
するとミヤダイは、
「君はナンパをすると良い」
と、言って、歩き始めた。
僕もミヤダイと喋りながら、歩いて教室を出る。
キャンパス内の庭を、ミヤダイと話しながら歩いていく。
その日、ミヤダイは移動中、黒いキャップをかぶっていた。
駐車場に着く。
黒塗りでスモークガラスに覆われた自動車へ乗り込むミヤダイを見遣って、僕は、
「ナンパ……かぁ」
と、呟いた。
僕が話しかけるとしたら、教室ではこいつ以外はないよなぁ、という女子の元へ行くことにした。
その娘は、白い肌で、童顔で、そしていつも僕の近くに座っていて、でも一人で黙り込んでいる女の子だ。
僕が戻ると、その子はガラガラの教室で弁当箱を開けて、ガツガツと昼ご飯を食べていた。
「こんにちは」
僕が声をかけると、その子は目を丸くして、僕を凝視した。
ああ、なんで僕はこういう奴に声をかけてしまうのだろう。
その子は黙って僕を凝視していたが、しばらくするとまた弁当を食べ始めた。
そして、僕が歩いて帰ろうとすると、微妙に僕についてきた。
非常に困った。
僕にとってストライクな女の子って、だいたい普通となにか違う。
僕はその子のいる後ろを振り返って、
「ごめん。なんでもないや」
と、謝った。
ナンパ、成功しそうなのに僕からごめん、だなんて言ってしまった。
思えばそれは、ナンパではなく、一目惚れした女の子に告白しただけだったのかもしれない。
それに、勇気を出せば確率はともかくとして成功はするものだ、というのもわかった。
だが、僕は声をかけたこの子みたいな娘が良いなぁ、と思ってしまうので、地雷系という地雷を踏んで歩いていくハメに陥ってしまうだろう。
僕は、ナンパを諦めることにした。
理屈として僕の言動は支離滅裂で、結果、ナンパはしていないので、先生が言う通り、数をこなすのがベターだったしナンパは数をこなしてナンボなのだが、田舎に帰る前にナンパをするのは、旅の恥はかき捨て、に似てクッソダサいことになってしまうからやめることにした。
すれば良かったなぁ、ナンパ。
〈次回へつづく〉
風が快い。
そんななか、いつも三十分は遅れて現れるミヤダイは何事もなかったかのように講義を始めるのが常だった。
習うは政治社会学に分類されるジャンルだ。
具体的には社会システム理論。
ニクラス・ルーマンの社会システム理論は、オートポイエーシスをその自らの理論に導入して出来ている。
生命の有機構成。
社会システム理論の〈有機体システム〉は、無機的なシステムではなく、有機的なシステムとして記述され、それは細胞と細胞膜の比喩で語られることが多い。
「社会学で偉い学者の上位三名を挙げろ、と言われたら、一位はカール・マルクス。二位はマックスウェーバー。三位がニクラス・ルーマンだ」
ミヤダイはそう、説明した。
「宗教システムをシステム理論で記述すると、〈前提を欠いた偶発性を馴致するシステム〉、となる」
などなど、グランドセオリーのひとつである社会システム理論、その概論を生徒や聴講生たちに教えていく。
☆
ある日のこと。
生徒が捌けたところで僕はミヤダイに、
「僕はこれからなにをすれば良いのでしょうか」
というざっくりとしたことを言ってしまった。
ざっくりしすぎだろう。
するとミヤダイは、
「君はナンパをすると良い」
と、言って、歩き始めた。
僕もミヤダイと喋りながら、歩いて教室を出る。
キャンパス内の庭を、ミヤダイと話しながら歩いていく。
その日、ミヤダイは移動中、黒いキャップをかぶっていた。
駐車場に着く。
黒塗りでスモークガラスに覆われた自動車へ乗り込むミヤダイを見遣って、僕は、
「ナンパ……かぁ」
と、呟いた。
僕が話しかけるとしたら、教室ではこいつ以外はないよなぁ、という女子の元へ行くことにした。
その娘は、白い肌で、童顔で、そしていつも僕の近くに座っていて、でも一人で黙り込んでいる女の子だ。
僕が戻ると、その子はガラガラの教室で弁当箱を開けて、ガツガツと昼ご飯を食べていた。
「こんにちは」
僕が声をかけると、その子は目を丸くして、僕を凝視した。
ああ、なんで僕はこういう奴に声をかけてしまうのだろう。
その子は黙って僕を凝視していたが、しばらくするとまた弁当を食べ始めた。
そして、僕が歩いて帰ろうとすると、微妙に僕についてきた。
非常に困った。
僕にとってストライクな女の子って、だいたい普通となにか違う。
僕はその子のいる後ろを振り返って、
「ごめん。なんでもないや」
と、謝った。
ナンパ、成功しそうなのに僕からごめん、だなんて言ってしまった。
思えばそれは、ナンパではなく、一目惚れした女の子に告白しただけだったのかもしれない。
それに、勇気を出せば確率はともかくとして成功はするものだ、というのもわかった。
だが、僕は声をかけたこの子みたいな娘が良いなぁ、と思ってしまうので、地雷系という地雷を踏んで歩いていくハメに陥ってしまうだろう。
僕は、ナンパを諦めることにした。
理屈として僕の言動は支離滅裂で、結果、ナンパはしていないので、先生が言う通り、数をこなすのがベターだったしナンパは数をこなしてナンボなのだが、田舎に帰る前にナンパをするのは、旅の恥はかき捨て、に似てクッソダサいことになってしまうからやめることにした。
すれば良かったなぁ、ナンパ。
〈次回へつづく〉