第2話 グリーンそうめん

文字数 2,509文字

 先日のことだ。
 働いている資料館での昼休み。
 所長が僕に、
「昼飯を食いに事務所へ来い。今日は蕎麦だ!」
 と、電話で言うのでノコノコと事務所のキッチンへ行ってみた。
 すると、テーブルの上には、山盛りになった野菜が入ったどんぶりが湯気を立てていた。
 僕は山菜蕎麦なのだと認識した。
 椅子に座り、割り箸を割って、山菜をかきわけ、麺を箸で掴んだ。
 緑色の麺だ。
 蕎麦にしては、緑色が鮮明過ぎる。
 だが、おなかがすいていた僕は、麺を啜った。

「ふぎゃ!」

 囓り、飲み込んだあと、僕は呻いた。
 咳き込む僕。
 立ち上がって所長のいる事務室に行く。
「これ、濃いお茶の味がするのだけど?」
 と、僕。
「そりゃぁ『茶蕎麦』だからな。お茶の味がするのは当たり前だろう?」
 と、所長。
「いや、そりゃそうなのだけど……。食べられないよ!」
 突っぱねた僕の脳内を昔の想い出が駆け巡る。
「茶蕎麦、食えないのか? 美味いだろうが?」
「これは……、いや、なんでもない。資料館へ戻るよ」
 言えなかった。
 僕は言えなかった。
 これは僕が三ヶ月以上の間、悩まされたことがある、〈グリーンそうめん〉の上位互換の味であり、今食べたものは確かにお茶の風味が好きなひとには好まれるだろうが、これのダウングレードである〈グリーンそうめん〉に苦い想い出(お茶だけに苦い想い出)がある僕には食べることが出来ないのだ。
 僕は思い出す。
 あの頃の秋の想い出を。
 グリーンそうめんという代物のアクの強さにたたきのめされた想い出を……ッ!







 東京、杉並区。
 高井戸のワンルームアパートの一室で、僕、成瀬川るるせと、一時期居候をしていた俳優志望の男、カケの二人は、フローリングに敷いたカーペットに仰向けで倒れていた。
「るるせちゃん、僕、おなかいっぱいだよぉ」
「嘘吐くな、カケ。お前、今日、水以外なにか口に入れたか?」
「そういうるるせちゃんはどうなのさぁ?」
「カケは職場でドーナツたらふく食えるだろう? 僕はもうダメだ」
「ドーナツも食べ飽きたし……、それに、なんでうちには食べるものがないんだよぉ」
「あるだろう? グリーンそうめん、が」
「ちょっ! やめてくれよ、るるせちゃん。その名前聞いただけで吐き気がする……うぇっぷ」
 僕らは仰向けで会話していた。
秋の夜長。
二人は倒れながら、朦朧とした意識の中、このまま空腹で過ごすか、禁断の〈グリーンそうめん〉を茹でるかの二択を迫られていた。
「るるせちゃん、僕らもう、二ヶ月の間、ドーナツ以外ではグリーンそうめんしか口に入れてないよ。……あと、どのくらいストック残っているの?」
「一ヶ月分あるよ、……グリーンそうめん」
「だよね……。知っていた」
 仰向けのまま、僕は顔をカケの方に向けた。
 仰向けのままで、カケも僕の方を向いた。
 目が合うとカケはその細い目をさらに細めて、
「昼はドーナツを食べることが出来る。ふふふ」
 と、力なく笑った。
「グリーンそうめんを手に入れて〈飯を確保した〉と勘違いして三ヶ月分の金を散財したのが運の尽きだったな」
 僕がかすれた声でカケに言う。
「だって、下北沢の『ドクター・マーチン』が服の販売から撤退するって言うからさ、閉店セール、買い込むに決まってるだろ」
「決まっているのか。ふぅん」
「そう言うるるせちゃんはどうなのさ」
「渋谷のタワレコで試聴して良かったCDたらふく買い込んだ後、下北沢のヴィレッジヴァンガードで書物を買いあさる。完璧なモーション。エモーショナルだろう? 仕方がなかったんだ」

 二人で同時にため息を吐く。

 僕らの部屋には食べ物はグリーンそうめんしかなく、そして、これが異様なまでの存在感がある味がして、どんな調理法を持ってしてもこのなんともいえないアクの強い味を薄めることが出来ないということは、このグリーンそうめんをくれた、僕の学友のオオタくんが、
「三ヶ月分の食料として、この麺を買わないか? なんと! 三ヶ月分でたったの千円だぁぁぁぁ!」
 と、怪しげなことを言って僕にグリーンそうめんを買わせようとしたときに、気づくべきだったのだ。
 後の祭り。
 どう考えても怪しいだろう。
 三ヶ月分の食事になるなら、自分でストックしておくのではないのだろうか。
 そういやオオタくんは、学校のトイレットペーパーを、
「備品だから使う場所の問題であって、家に持って帰って使っても同じじゃん」
 という謎理論によって持ち去るクセがあるような人間であることも、よく考えた方が良かった。
 挙げ句の果てに、部屋に戻った僕は、バイト先から帰宅したカケに、
「じゃっじゃーーーーん! 三ヶ月分の食料を確保したぜー! さ、買い物に出かけようぜ! 今すぐに!」
 とかなんとか言って、阿呆のように湯水の如く金を使うのを促すことをやめておくべきだったのだ。
「なんだってぇ! 三ヶ月、食費を考えなくて大丈夫なのかぁ! うっひょう! ナイス、るるせちゃん!」
 そう返すカケもカケで、バカの極みだった。
 二人揃って大馬鹿野郎だった。

 夏が過ぎてそうめんが無料で手に入った、というオオタくんの触れ込みが最初、あったと思った。
 それはつまり、秋にそうめんを食べ続けることになるということで、それ自体になにも感じないほど、僕らはバカだった。
 そして。
 僕らは。
 耐えきれずに深夜、グリーンそうめんの袋を開け、鍋に入れる。
 ぐつぐつ煮える鍋の中を踊る麺に呪詛を唱える。

「ああ、グリーンそうめん、なんでお前はそんなにグリーンな味をしているのか。グリーンだからクリーンさは皆無ということなのか?」
 グリーンそうめんは答えない。
 鍋の中でぐつぐつ音を立てるだけだ。







 そして茶蕎麦を食べ残して、僕は資料館の仕事場に戻る。
 変なことを思い出してしまった。
 だが。
 今じゃ良い想い出だ……と、良いのだけれども、茶蕎麦に拒絶反応起こすことを考えると、未だにグリーンそうめんを〈良い想い出化できていない〉自分がいることに気づく。
 僕は事務所から外に出て資料館の館内に戻る道すがら、独りで吹き出して笑ってしまった。
 さ。
 午後は気持ちを切り替えて、今を精一杯、生きよう。



〈了〉
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成瀬川るるせ:語り手

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