第60話 メビウス・アッシュ【1】

文字数 1,645文字

 六本木。
 六本木のナイトクラブの跡地に、なにかイベントスペースをつくりたい、という話があるらしかった。
 僕はその話を、渋谷の某喫煙所で、プロドラマーのシンキさんの弟子のドラマーの男性から聞いた。
 そのドラマーはトコウさんという名前で、彼は肺の病気であった。
 肺の病気であることで逆に、彼はドラムという肺活量を使う楽器に惹かれることになったというのだから、凄い。
 それは当時の僕の高井戸の部屋の居候であるカケも似たところがあって、カケは、当時は吃音だった。
 それを必死に治したことが、カケがプロ俳優として認められるきっかけになった、とも言える。
 一方の僕はその頃も今もなにも考えていないただのバカで低能で、未だに色々なひとから知恵遅れと言われて笑われているほどだ。
 おっと、ここに差別を助長する意図はないので、あしからず。
 低能な僕はともかく、そのドラマーのトコウさんが、ビジュアル系のメタルバンドに仮加入した、のだという。
 それで、そのビジュアル系バンドが、六本木のナイトクラブ跡地で、ライブ、それもそのイベントスペースの〈こけら落とし〉をやるので参加しないか、と誘われているというのだ。
 その頃はまだ、僕はバンドを組んではいなかった。
 ベースのカケとギターの僕で、打ち込みドラムを使ったユニットを組んでいただけだった。
 そういうわけで、下積みとして、そのこけら落としのライブのときに、トコウさんのバンドの〈ローディ〉の仕事をしてみないか、と誘われたのだ。

 ローディとは、機材運びなどをやる、要するにバンドの〈付き人〉だ。
「どう? やってみるかい、るるせくん」
 トコウさんが、笑みを浮かべながら尋ねる。
「もちろんです、トコウさん。僕と、居候のカケの二人で、ローディ、やりますよ」
 僕は答える。
「六本木って、行ったことあるかい、るるせくん」
「ないです」
「そっか。渋谷から近いんだよ。渋谷駅から六本木通りをまっすぐ進めば、すぐに六本木さ」
「そうだったのですか! 知らなかったです」
「ふふ~ん。当日、楽しみにしてるよ、るるせくん」
「はい!」







 ライブ当日。
 バンドメンバーたちと挨拶を交わした僕とカケの二人は、タクシーで六本木まで行った。
 六本木通りに面した場所に、件のイベントスペースはあった。
 かなり大きい建物だ。
 建物の中央にある階段をのぼって、そのコンクリート打ちっぱなしのイベントスペースまで、僕らは〈ローディ〉として、楽器を運ぶ。
 すると、司会者として呼ばれた〈二丁拳銃〉というお笑い芸人のコンビがいた。
 二丁拳銃。名前だけは聞いたことがあった。
 テレビにも出演していたはずだ。
 なんかそのビジュアル系バンドのメンバーたちに睨まれたりしてビクビクしていた様子だったが、それは僕も同じだった。
 僕らがローディを担当したトコウさんのバンドはオオサカで結成したバンドだったらしく、気性が荒いのであった。
 そりゃ、怖い。
 二丁拳銃にも挨拶をして、ライブの準備を手伝う僕とカケ。
 トコウさんのバンドのボーカルが言う。
「おれが勤めてるオオサカの居酒屋は、よぉ。スリップノットが来たりするんだ。マスクを外すと、気前の良いおっちゃんたちだぜ、スリップノットは。ははは」
 その他、有名バンドがたくさん来店する店らしく、六本木のイベントスペースのこけら落としに呼ばれたり二丁拳銃に強く当たるのも、相応のコネクションがあるからなのだなぁ、と思う僕だった。

 後日談になるが。
 トコウさんはそのバンドを辞めて、再び流浪のドラマーとなる。
 そして、その日、司会進行役だった二丁拳銃というお笑いコンビは、ロックフェスの司会をやるまでになった。
 大成長である。
 そして、カケはプロの俳優になる。
 じゃあ、僕はどうなったかって?
 そりゃぁ、何者にもなれない、〈なれず者〉として、今、こうして小説を書いている。
 不思議なものだよ、人生って奴は。
 僕の六本木の思い出と言えば、今回の話が、一番大きいかな。






〈次回へつづく〉
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成瀬川るるせ:語り手

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