第68話 真夏の夜のサクリファイス【3】

文字数 1,487文字

 メアリーはとにかく美人だった。
 美人なので、男からよこしまな目線で見られる存在だった。
 だが、僕と付き合っていた時期というのは第二次成長期で、メアリーは胸がとても大きくなってしまった。
 ロリ顔に、声優声で、純白の服を好んで着る、少し栗毛色のロングヘアをポニーテイルや三つ編みする、清純派を装ったたたずまいのメアリー。
 胸が大きくなるにつれて、町ゆく人々、特に男性は、メアリーの胸を凝視しながら歩いていることが多くなった。
 横を歩いている僕は特に、殺意を向けられているようににらまれるようになった。
 みんな、大きな胸が好きなんだなぁ、と改めて思ったものだ。

 しかし、それは要するにメアリーは「女として男どもに狙われている」ことも、同時に意味した。
 気が気じゃなかった。
 メアリー本人は、男から誘われる話をすることもある。
 メアリーという子は、自分を「お姉さん」として見て欲しいという願望があった。
 いかにもひょいひょい男についていって一緒に寝て、「先輩に仕返し」などと言いそうな女の子だった。
 大人になったメアリーの前に、中学生時代仲の良かったという隣の高校の生徒が現れた。
 しばらくそいつと話したあと、メアリーは僕の方に戻ってきて、
「あのひとはね、わたしのことが好きなの。うふ、でも、わたしは大人になっちゃった」
 と言いながら舌なめずりをして、流し目でその男を見て、それから向き直って僕と手をつなぐ。
「さ、行きましょ」
 メアリーは僕を連れて、バス停まで歩いた。
 メアリーはくすくす笑っていたのであった。
 胃がきりきり痛んだ気がした。







 部活、短期集中で鍛えた僕ら演劇部だったが、ヒロイン役のメアリーが部室に来ない日が続いた。
 セヤ先生の命を受けて、僕は校舎の渡り廊下の先にある建物、図書館の一階にある、保健室の前までやってきた。
 入る前に、保険医の名前が書いてあるのでチェックする、……が、名字は読めなくて、名前がサトミだ、というのだけが判読できた。
 だいたいこの時点で大学の模試だと国語だけはテスト順位が全国60位圏内にいたし、中学生の時は国語、三年間、県内学力テストで2位か3位しか取ったことがない僕だったが、なぜか国語で、言葉で失敗してばかりの人生だったし、それ以降も〈舌禍〉に見舞われつつ、今もそれは続いているのだから、おそろしい。
 国語、役に立たないし追いつめられるだけだった。
 その上に今じゃ、処方薬の副作用で上手くしゃべれなくなってしまった。
 なにが言いたかったかというと、読めないはずないのに読めなかった、という記憶があって、保険医の先生の名字を僕は覚えることすらなかった、ということである。
 名前はサトミ。
 そこだけ覚えた。
 この高校で一番の美人教師がその保険医のサトミ先生で、僕はその方に大変お世話になった。
 だが、最後まで名字は知らないままだったのであるが、そんなこともあるだろう……と、いうことにして欲しい。

 保健室をノックする僕。
「入っていいわよ」
 その落ち着いた女性の声と同時に、ドアノブが回って、扉が開いた。
 そこに立っていたのは、ドアノブを回した僕よりだいぶ背の低い、白衣を着た凛とした表情を浮かべる女性保険医の、サトミ先生だった。
「はじめまして、成瀬川くん」
「こちらこそ、はじめまして、サトミ先生」
「むっ。初対面で下の名前呼ぶのは失礼だよ」
「わかりました、サトミ先生」
「むむっ。ほんとはダメなんだからね! まあ、いいわ。おいで」
「……はい」
 それまで出席皆勤賞の僕が授業を抜け出して、入った初めての場所が保健室なのだった。






〈次回へつづく〉
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

成瀬川るるせ:語り手

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み