第117話 光について【5】
文字数 1,493文字
僕は京王線桜上水駅沿いにある本屋で働き始めた。
そこで僕を指導してくれた先輩は、アラキさんという二十代前半くらいの女性だった。
僕より少し年上に見えたけど、本当の年齢はわからずじまいだった。
職場の噂では、書籍のことを知り尽くしていて、店長に誰よりも信頼されているのがアラキさんで、僕からすれば〈なんでも知っている系お姉さん〉だった。
例えば書籍にはISBNコードというものがあるけど、アラキさんはISBNを、その仕組みから教えてくれた。
アラキさんは、本に関するあらゆることを知っていた。質問して答えられないことは一度だってなかった。
アラキさんは決して美人なタイプじゃないけれど、愛嬌があって、いつも笑顔だった。
僕が若さ故に話題をどうにかえっちな方向に持っていこうとすると、それを全部笑顔のまま会話で躱してうやむやにしてしまう。
嫌な顔はひとつもしない。
アラキさんは〈男慣れした〉女性だった。
「仕事がない日はどこでなにをしているんですかー」
と訊いても、
「うふふー、内緒」
と言うアラキさん。
作業中、不注意で、本当に不注意でアラキさんの身体の、ぷにぷにしたところが触れてしまって僕が、
「すみませんでした!」
と謝っても、
「うふふー」
と微笑んで許してくれた。
とても良いひとだった。
いや、勘違いしないように。
不注意でそうなったんだからね?
僕に手取り足取りいろんなことを教えてくれたアラキさんの正体はしかし、最後まで僕が知ることはなかった。
☆
一方で、本屋には嫌な先輩バイトの女性もいた。
僕は今で言う〈コミュ障〉なところがあり、上手くしゃべれないことが多かった。
「アンタは本を読んだことってある? ないでしょ。語彙力ないもんね。読書くらいしなさいよ、このゴミムシ」
そう僕に言うこの先輩バイトの女性は、男性店員のひとり(既婚者)にべたべたくっついて行動していた。
その男性店員は、作曲家で、麦酒のコマーシャルミュージックをつくり、一億円以上のお金を持っていて、「身体がなまってしまうといけないので」書店で働いている、という風変わりな男性だった。
男性店員はどこかから、BECK(ベック・ハンセン)のライブチケットを持ってきて、その嫌な女性店員と一緒にライブコンサートに行くことになり、二人、腕を絡めて会場へと向かっていったことがあるような記憶がある。
不倫現場を見た気がしたが、アラキさんは、くちびるに人さし指を立てて、
「しー」
と、言うので、僕も黙っていることにした。
そんな記憶もある。
☆
一方、吉祥寺のシンさんのイタ飯屋のバイトも続けていた。
早稲田大学に通っているバイトのにーちゃんが多い職場だったので、早稲田大学のサークル〈ジャングル・ジム〉で、このイタ飯屋を貸し切りにすることが、何度もあった。
僕も〈ジャングル・ジム〉に誘われたが、大学生ではないので、遠慮しておいた。
ジャングル・ジムのリーダーが、自分の彼女を僕に紹介してくれた。
「べっぴんだろ?」
と、リーダー。
「デラ・べっぴんや!」
と、僕。
場内は爆笑に包まれた。
デラ・べっぴんとは、えっちな写真が載っている雑誌の名前だったのを、一同知っていたので起こった爆笑だ。
のちに、ここで働いていた早稲田大学の連中は、テレビ局やラジオ局に勤めることになる。
今も良い番組をつくっていると良いのだが、みんな、どうしているだろうか。
☆
そんなこんなで、世界が徐々に広がっていく僕だった。
そして、同時にバンドは始動する。
活動期間は短かったが、僕の二十代、最大の戦いが、僕を待ち受けていた。
〈次回へつづく〉
そこで僕を指導してくれた先輩は、アラキさんという二十代前半くらいの女性だった。
僕より少し年上に見えたけど、本当の年齢はわからずじまいだった。
職場の噂では、書籍のことを知り尽くしていて、店長に誰よりも信頼されているのがアラキさんで、僕からすれば〈なんでも知っている系お姉さん〉だった。
例えば書籍にはISBNコードというものがあるけど、アラキさんはISBNを、その仕組みから教えてくれた。
アラキさんは、本に関するあらゆることを知っていた。質問して答えられないことは一度だってなかった。
アラキさんは決して美人なタイプじゃないけれど、愛嬌があって、いつも笑顔だった。
僕が若さ故に話題をどうにかえっちな方向に持っていこうとすると、それを全部笑顔のまま会話で躱してうやむやにしてしまう。
嫌な顔はひとつもしない。
アラキさんは〈男慣れした〉女性だった。
「仕事がない日はどこでなにをしているんですかー」
と訊いても、
「うふふー、内緒」
と言うアラキさん。
作業中、不注意で、本当に不注意でアラキさんの身体の、ぷにぷにしたところが触れてしまって僕が、
「すみませんでした!」
と謝っても、
「うふふー」
と微笑んで許してくれた。
とても良いひとだった。
いや、勘違いしないように。
不注意でそうなったんだからね?
僕に手取り足取りいろんなことを教えてくれたアラキさんの正体はしかし、最後まで僕が知ることはなかった。
☆
一方で、本屋には嫌な先輩バイトの女性もいた。
僕は今で言う〈コミュ障〉なところがあり、上手くしゃべれないことが多かった。
「アンタは本を読んだことってある? ないでしょ。語彙力ないもんね。読書くらいしなさいよ、このゴミムシ」
そう僕に言うこの先輩バイトの女性は、男性店員のひとり(既婚者)にべたべたくっついて行動していた。
その男性店員は、作曲家で、麦酒のコマーシャルミュージックをつくり、一億円以上のお金を持っていて、「身体がなまってしまうといけないので」書店で働いている、という風変わりな男性だった。
男性店員はどこかから、BECK(ベック・ハンセン)のライブチケットを持ってきて、その嫌な女性店員と一緒にライブコンサートに行くことになり、二人、腕を絡めて会場へと向かっていったことがあるような記憶がある。
不倫現場を見た気がしたが、アラキさんは、くちびるに人さし指を立てて、
「しー」
と、言うので、僕も黙っていることにした。
そんな記憶もある。
☆
一方、吉祥寺のシンさんのイタ飯屋のバイトも続けていた。
早稲田大学に通っているバイトのにーちゃんが多い職場だったので、早稲田大学のサークル〈ジャングル・ジム〉で、このイタ飯屋を貸し切りにすることが、何度もあった。
僕も〈ジャングル・ジム〉に誘われたが、大学生ではないので、遠慮しておいた。
ジャングル・ジムのリーダーが、自分の彼女を僕に紹介してくれた。
「べっぴんだろ?」
と、リーダー。
「デラ・べっぴんや!」
と、僕。
場内は爆笑に包まれた。
デラ・べっぴんとは、えっちな写真が載っている雑誌の名前だったのを、一同知っていたので起こった爆笑だ。
のちに、ここで働いていた早稲田大学の連中は、テレビ局やラジオ局に勤めることになる。
今も良い番組をつくっていると良いのだが、みんな、どうしているだろうか。
☆
そんなこんなで、世界が徐々に広がっていく僕だった。
そして、同時にバンドは始動する。
活動期間は短かったが、僕の二十代、最大の戦いが、僕を待ち受けていた。
〈次回へつづく〉