第112話 Journey’s End【4】

文字数 1,235文字

 東京、杉並区。
 高井戸のワンルームアパートの一室で、僕、成瀬川るるせは仰向けに倒れていた。
 その横には、僕の部屋で居候を始めたベーシストのカケ。
 僕ら二人は、フローリングに敷いたカーペットに仰向けで倒れていた。
「るるせちゃん、僕、おなかいっぱいだよぉ」
「嘘吐くな、カケ。お前、今日、水以外なにか口に入れたか?」
「そういうるるせちゃんはどうなのさぁ?」
「カケは職場でドーナツたらふく食えるだろう? 僕はもうダメだ」
「ドーナツも食べ飽きたし……、それに、なんでうちには食べるものがないんだよぉ」
「あるだろう? グリーンそうめん、が」
「ちょっ! やめてくれよ、るるせちゃん。その名前聞いただけで吐き気がする……うぇっぷ」
 僕らは仰向けで会話していた。
 秋の夜長。
 二人は倒れながら、朦朧とした意識の中、このまま空腹で過ごすか、禁断の〈グリーンそうめん〉を茹でるかの二択を迫られていた。


 そう、カケが引っ越してきたのだ。
 僕がカケに上京を促した。
 そして、カケは約束通り、やってきた。

 二人同時にため息を吐く。
 金が底を尽きた。
 二人とも、である。

 そう、〈ウロボロスの輪〉よろしく、この小説の最初に戻るのであった。
 阿呆な二十代の始まりだった。







 ある日のことである。
 カケが、町田康さんとシアターブルックの佐藤タイジさんの二人組ユニットのミニライブのチケットを持ってきた。
「行っておいでよー。僕、その日用事があって行けないんだ」
「おー! 遠慮なく行かせてもらうぜ!」
 と、そういうやり取りがあり、僕は単身、渋谷宇田川町のタワーレコードに向かった。

 タワレコ地下ステージで、町田康さんの歌声を聴く。
 驚いた。
 声がまろやかで、そして太い。
 音源で聴く町田康さんの声は、町田さんが町田町蔵だった頃のバンド『INU』の時のディレクションを意識してか、不遜な歌詞とは裏腹に繊細な印象を与えるのだが、実際に歌声を聴くと、これでもか、というほど〈ボーカリスト〉なのである。
 僕は口をぽかーん、と開けて、惚けながらステージを観ていた。

 ライブが終わったら、なんか握手会が始まってしまった。
 そして、なんたることか、一番最初に握手してもらうお客さんが、僕になってしまった。
 え? 僕が一番目で良いの?
 そう思って挙動不審になっていると、スタッフにせかされ、町田康さんに握手してもらえた。
 握手して、手を握ったままの状態で、町田康さんは僕に一言、
「頑張ってね!」
 と、言ってくれた。
 お客さんである僕が「頑張ってね!」と言ってもらえただと!
 言い知れぬ希望の光で満たされる。
 顔が真っ赤になった。
 でも、僕が〈なにかをやろうとしている人間〉だ、と何故、町田康さんは気付けたのか。
 それは謎だ。
 だが、最高に嬉しかった。
 頑張るしかねぇな、と僕は思い、
「はい!」
 と、町田康さんに応え、そして会場をあとにする。

 ここは、東京のど真ん中で、冒険はまだこれから始まるのだ、と僕は思っていた。



〈了〉
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成瀬川るるせ:語り手

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