第145話 坂の途中【5】
文字数 2,425文字
この僕の小説、半分は音楽活動のことを話してきたのであるが、アマチュアとかプロとか、インディーズやメジャーという言葉は僕より上の世代でもよく聞くと思う。
だが、そういった活動とは別に、〈同人音楽〉と呼ばれる音楽活動の形式がある。
☆
この小説で描いてきた〈ストリート〉の思想・実践は、今はその場所を〈オンライン〉に移して、さまざまな分野のカルチャーを形成している。
それは世界的な流れであり、例えばジョセフ・ヒース&アンドルー・ポターの著作『叛逆の神話』の文庫版序文に詳しく描かれている。
そして、〈ストリート〉に分類されてきたであろう〈コミックマーケット〉や同人音楽即売会である〈M3〉が主導してきた〈同人音楽〉はその主戦場を、〈オンライン〉である「ニコニコ動画」や「YouTube」などに移した結果、この小説で話してきた〈バンド活動〉という様式と〈同人音楽〉という様式の垣根は崩れ、融和しつつある。
サブスクリプションの音楽配信も、それを後押ししているだろう。
そう、今回は同人音楽の話だ。
それは、前項で書いた美少女ゲームと不可分なのであり、このタイミングで話すべきだと、僕は判断したので、書くことにする。
☆
さて、〈同人音楽〉とはなにか。
それは、主として自主制作盤としてCDなどをつくり、即売会イベントで頒布する音楽、という認識で良いのだと思う。
自主制作のCDを頒布というと、コミックマーケットや、それにボーカロイド曲であるならば『ボーマス』という略称で知られる『ボーカロイドマスター』なども出来たが、やはりその隆盛の鍵を握っていたのは、1998年から始まった『M3』というイベントである。
このM3は、音楽ジャンルに特化した即売会イベントであり、そこで当初行われていた美少女ゲームの楽曲の二次創作が、その同人音楽というジャンルの種を蒔いたといえる。
このM3からは、後に2004年にデビューしたSOUND HORIZONなどの、メジャーデビューしていくことになるアーティストたちを輩出することになるが、90年代後半からゼロ年代の当時はまだオリジナル曲というのは見向きもされなかった。
それどころか、同人音楽業界では有名な『MIDI狩り事件』というものがあり、それにより個人サイトで楽曲利用をする際にも著作権管理をもJASRACが行うことになった。
それによりMIDIを聴けたサイトがごっそりと消されることになってしまったのである。
このMIDI狩り事件は2001年に勃発した。
それでそこからどう美少女ゲームの二次創作の隆盛につながるか。
当時、ゲーム音楽は、JASRACなどの著作権管理団体に楽曲に対する権利を預けず、ゲーム会社によって管理されていたのである。
そして二次創作に理解のあったゲーム会社は、それぞれ自社で二次創作のガイドラインを定め、問題なく二次創作ができるようにしていた。
JASRACから離れていたからこその隆盛であろう。
その同人音楽の場で、最初に盛んになったのは〈葉鍵〉の二次創作音楽であった。
〈葉鍵〉とはPCゲーム会社の〈Leaf〉と〈Key〉のふたつの美少女ゲームブランドを指す言葉だ。
この二つの美少女ゲームブランドの二次創作が、その隆盛の礎を築いた。
……と、こうつながるのである。
その葉鍵が落ち込んでも、次にはオンラインゲームの『ラグナロクオンライン』のアレンジが流行した。
そしてその次には同人シューティングゲームの『東方Project』のアレンジブームが来るなどした。
M3周辺の同人音楽業界では、様々な流行があって人が集まり、同人音楽全体の規模までが膨らんでいった。
だからこそ、その後にオリジナル楽曲をやる人間にもお客さんがついてくれるというその土台を作ることができたのである。
現実世界の『M3』イベントの流れと平行して、ネット上での、作曲者と歌い手のマッチングである『マイナスワントラック』というサイトが流行ったのが、ニコニコ動画のボカロシーンと『歌ってみた』に及ぼした影響は非常に大きい。
その『マイナスワントラック』とは、曲をつくる人間がオリジナル曲のカラオケと歌詞を公開して、それを歌い手が聴いて気に入ったら歌を入れる、というサイトであった。
サイト自体はスレッドを立てる掲示板形式である。
作曲者が曲の説明とURLを書いてトピックにし、投稿する。
それを聴いて歌った人がコメントをしてから『ケロログ』などの音声ファイルを貼り付けられるブログや、ヤマハの運営していた『プレイヤーズ王国』という音楽コミュニティサイトなどで、公開することになる。
このマイナスワントラック周辺には、後にボカロの有名Pになる人や、有名な歌い手になる人が多数、集まっていた。
なにも、ニコ動のボカロシーンが突然変異的に形成されたのではない。
こうやって、その土台となるシーンがあり、紆余曲折を経て、現在に繋がる同人音楽のシーンが形作られることとなったのである。
☆
ちょうど先鋭的なカルチャーが〈ストリート〉から〈オンライン〉に変わる、その過渡期に、〈同人音楽〉は音楽文化を席捲していくことになるのである。
そういう意味では、純粋に〈ストリート〉の〈シーン〉に存在した、最後の世代が僕らのバンドが活動していた時代の音楽キッズだったのかもしれない。
この小説で描いてきたのは、それまでとのオンラインカルチャーとその後のオンラインカルチャーの分水嶺でもあった。
オンラインの匿名掲示板であった〈2ちゃんねる〉の住人の一部が〈マトリックスオフ〉という自主企画で東京を混乱させた時期が、僕が東京にいた最後の頃であり、ここに〈2ちゃんねる〉という言葉が介入してくること自体が、それまでとそれからを分かつことになる、その予兆だったと言えるだろう。
まあ、それはともかく、僕の物語はまだちょっとだけ続くのだ。
〈次回へつづく〉
だが、そういった活動とは別に、〈同人音楽〉と呼ばれる音楽活動の形式がある。
☆
この小説で描いてきた〈ストリート〉の思想・実践は、今はその場所を〈オンライン〉に移して、さまざまな分野のカルチャーを形成している。
それは世界的な流れであり、例えばジョセフ・ヒース&アンドルー・ポターの著作『叛逆の神話』の文庫版序文に詳しく描かれている。
そして、〈ストリート〉に分類されてきたであろう〈コミックマーケット〉や同人音楽即売会である〈M3〉が主導してきた〈同人音楽〉はその主戦場を、〈オンライン〉である「ニコニコ動画」や「YouTube」などに移した結果、この小説で話してきた〈バンド活動〉という様式と〈同人音楽〉という様式の垣根は崩れ、融和しつつある。
サブスクリプションの音楽配信も、それを後押ししているだろう。
そう、今回は同人音楽の話だ。
それは、前項で書いた美少女ゲームと不可分なのであり、このタイミングで話すべきだと、僕は判断したので、書くことにする。
☆
さて、〈同人音楽〉とはなにか。
それは、主として自主制作盤としてCDなどをつくり、即売会イベントで頒布する音楽、という認識で良いのだと思う。
自主制作のCDを頒布というと、コミックマーケットや、それにボーカロイド曲であるならば『ボーマス』という略称で知られる『ボーカロイドマスター』なども出来たが、やはりその隆盛の鍵を握っていたのは、1998年から始まった『M3』というイベントである。
このM3は、音楽ジャンルに特化した即売会イベントであり、そこで当初行われていた美少女ゲームの楽曲の二次創作が、その同人音楽というジャンルの種を蒔いたといえる。
このM3からは、後に2004年にデビューしたSOUND HORIZONなどの、メジャーデビューしていくことになるアーティストたちを輩出することになるが、90年代後半からゼロ年代の当時はまだオリジナル曲というのは見向きもされなかった。
それどころか、同人音楽業界では有名な『MIDI狩り事件』というものがあり、それにより個人サイトで楽曲利用をする際にも著作権管理をもJASRACが行うことになった。
それによりMIDIを聴けたサイトがごっそりと消されることになってしまったのである。
このMIDI狩り事件は2001年に勃発した。
それでそこからどう美少女ゲームの二次創作の隆盛につながるか。
当時、ゲーム音楽は、JASRACなどの著作権管理団体に楽曲に対する権利を預けず、ゲーム会社によって管理されていたのである。
そして二次創作に理解のあったゲーム会社は、それぞれ自社で二次創作のガイドラインを定め、問題なく二次創作ができるようにしていた。
JASRACから離れていたからこその隆盛であろう。
その同人音楽の場で、最初に盛んになったのは〈葉鍵〉の二次創作音楽であった。
〈葉鍵〉とはPCゲーム会社の〈Leaf〉と〈Key〉のふたつの美少女ゲームブランドを指す言葉だ。
この二つの美少女ゲームブランドの二次創作が、その隆盛の礎を築いた。
……と、こうつながるのである。
その葉鍵が落ち込んでも、次にはオンラインゲームの『ラグナロクオンライン』のアレンジが流行した。
そしてその次には同人シューティングゲームの『東方Project』のアレンジブームが来るなどした。
M3周辺の同人音楽業界では、様々な流行があって人が集まり、同人音楽全体の規模までが膨らんでいった。
だからこそ、その後にオリジナル楽曲をやる人間にもお客さんがついてくれるというその土台を作ることができたのである。
現実世界の『M3』イベントの流れと平行して、ネット上での、作曲者と歌い手のマッチングである『マイナスワントラック』というサイトが流行ったのが、ニコニコ動画のボカロシーンと『歌ってみた』に及ぼした影響は非常に大きい。
その『マイナスワントラック』とは、曲をつくる人間がオリジナル曲のカラオケと歌詞を公開して、それを歌い手が聴いて気に入ったら歌を入れる、というサイトであった。
サイト自体はスレッドを立てる掲示板形式である。
作曲者が曲の説明とURLを書いてトピックにし、投稿する。
それを聴いて歌った人がコメントをしてから『ケロログ』などの音声ファイルを貼り付けられるブログや、ヤマハの運営していた『プレイヤーズ王国』という音楽コミュニティサイトなどで、公開することになる。
このマイナスワントラック周辺には、後にボカロの有名Pになる人や、有名な歌い手になる人が多数、集まっていた。
なにも、ニコ動のボカロシーンが突然変異的に形成されたのではない。
こうやって、その土台となるシーンがあり、紆余曲折を経て、現在に繋がる同人音楽のシーンが形作られることとなったのである。
☆
ちょうど先鋭的なカルチャーが〈ストリート〉から〈オンライン〉に変わる、その過渡期に、〈同人音楽〉は音楽文化を席捲していくことになるのである。
そういう意味では、純粋に〈ストリート〉の〈シーン〉に存在した、最後の世代が僕らのバンドが活動していた時代の音楽キッズだったのかもしれない。
この小説で描いてきたのは、それまでとのオンラインカルチャーとその後のオンラインカルチャーの分水嶺でもあった。
オンラインの匿名掲示板であった〈2ちゃんねる〉の住人の一部が〈マトリックスオフ〉という自主企画で東京を混乱させた時期が、僕が東京にいた最後の頃であり、ここに〈2ちゃんねる〉という言葉が介入してくること自体が、それまでとそれからを分かつことになる、その予兆だったと言えるだろう。
まあ、それはともかく、僕の物語はまだちょっとだけ続くのだ。
〈次回へつづく〉