第8章 終焉 -  最期(3)

文字数 1,075文字

 最期(3)
 


 そこは豊子の部屋だった。そんな認知と同時に、京はその部屋に豊子以外の存在を感じる。豊子の記憶でしかないことも忘れて、
 ――おまえが、どうしてここに?
 思わずそんな声を上げそうになった。豊子の目の前に、京が知っている女がいたのだ。女と言っても、身体大部分は消失し、残った顔も焼け爛れていて見ただけでは性別など分からない。しかし京は女だったと知っていた。ただ決して生きてはおらず、本来ならここにいる筈もない地縛霊の姿だ。
 ――なんでおまえが、こんなところにまで現れる!?
 そう思った途端、矢島不動産で己の告げた言葉を思い出した。しかし今日の今日で、すぐに工事が始まる訳がないのだ。ただとにかく、そこにいたのは工場跡に自縛する霊で、強烈なその存在に引き寄せられ、本当なら成仏すべき霊たちまでがその場所に留まった。そんな存在がこの瞬間、明らかに思念に介入し、操り人形と化した豊子へと告げている。
 ――さあ、火を点けなさい。
 京はそこでやっと、豊子が手にしているものに意識がいった。
 床に敷かれた布団にちょこんと座り、豊子は正面に浮かぶ女をジッと見上げている。手には京が長年愛用しているジッポライターが握られていて、更に豊子の傍らに、専用オイル缶までが転がっている。もし中身すべてを振り撒いたのなら、ジッポの炎はあっという間に燃え広がるだろう。不意に「やめろ」と、そんな台詞が思い浮かんだ。しかしすぐに、声にすることの無意味さに気が付く。
 とにかくすべてが今更だった。女があの土地からどうして離れられたのか、なにゆえ、豊子の元などに現れ出たのか……過ぎ去ってしまった現実を幾ら振り返ったところで、結果は何も変わりはしない。きっと、あの地縛霊なりの理由があるんだろうと、脳裏に張り付いた光景から目を背けようとした時だった。フッとすべてが消え去って、元あった暗闇が舞い戻る。死んだのか? 京がそう思った時、いきなり顔に何か触れた。乾きかけている血液を押し広げるように、ザラザラとしたものが京の顔を弄っている。
 ――お袋か……?
 言葉にしようとしたが到底声にはならず、ただ流れ込む思念だけを心に感じた。
 ――京ちゃん、京ちゃん……。
 ただ京の名を心に思い、その顔をなで回しているのは明らかに豊子だ。ちゃん付けで呼ばれるなど半世以上なかったことで、彼はふと、子供の頃に戻ったような錯覚を覚える。
 ――かあちゃん。
 不意に心に浮かんだその呼び掛けも、半世紀以上ぶりのこと。そんな久しぶりとなる心の声を最後に、京の思念はその後すぐに、跡形もなく消え去った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み