第5章  探求 - マンションに再び(4)

文字数 1,140文字

               マンションに再び(4)


「突然すみません!」
 未来は慌ててそう声にして、膝に擦り付けんばかりに頭を下げた。そしてこれまでのような作り話ではなく、ほぼ真実と言えるストーリーを男に向けて語り始める。
 恋人だった菊地瞬が突然行方不明となって、ほぼ1年後、意識不明の状態で発見された。
 未だ意識のないまま病院にいて、彼がそうなった理由を是非知りたいんだと未来は告げた。
「彼が行方不明になって、このマンションで見掛けたって人がいるんです……」
 無論、これは肉体のない方の瞬のことだ。未来もさすがに、そのことまでを口にする勇気を持ち合わせてはいなかった。ただとにかく何か知らないかと続けて、ポケットから瞬の写真を取り出し見せた。しかし男は写真には目もくれず、いきなり拒絶の態度を見せるのだった。
「すまんが、俺には力になれんよ……」
 そう言いながら、空いた方の手を顔の前で2、3度振った。そして未来が声を発する前に、さっさと扉を閉めてしまうのだ。
 あっと思った時には、未来は1人扉の外に取り残される。
 それでも、瞬は「ここにいた!」と確かに言った。となればさっきの男に違いない。後は調査会社にでも調べさせれば、絶対何か出てくる筈だ。未来は扉を見つめつつ、そんなことを強く思った。そしていつ戻るやも知れぬ瞬のことを、マンションの外に出て1人ジッと待ったのだった。
 力になれんよ――男がそう言った時、瞬は男の少し後ろに立っていた。
 つい先日、目にしたばかりの白髪交りの長い髪が、その瞬間彼の目の前にあったのだ。振り返った顔も知っているもので、その時男は、ふと何かを感じて訝しげな顔を見せていた。しかしすぐ元の表情に戻り、少しだけ低くなっている玄関口から右足を大きく踏み出した。すると動かずにいた瞬の身体と、男の前身が微かに重なる。男の動きがピタッと止まり、その顔が俄に強ばった。そして次の瞬間、
――おまえ、なのか?
 いきなり男の思念が瞬の頭に流れ込む。と同時に、瞬の動揺も男の元へと伝わった。瞬は驚き、思わず男の身体を突き抜けるのだ。そのまま彼は一目散に、玄関扉の向こう側へと消え失せた。
 ――菊地、瞬……。
 そこでようやくその名を思い、遥か昔にあった記憶と思い重ねる。生きて、いた? そんなことがあり得るのか? そう思いながら、手にあるものに目を向ける。そこには握り潰され、折れ曲がってクシャクシャになった名刺が1枚。
 ――多摩川病院 事務管理課 課長代理 相澤未来
 そんな文字を何とか読み取り、男は誰に言うでもなくボソっと呟く。
「こんな近くにいたのか……それも、本当に生きていやがった……」
 そう言う男の口元から、まるで極寒の雪山にいるかのような白い吐息が広がった。
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