第5章 現実 – 黒い影(4)
文字数 1,040文字
黒い影(4)
老人の呼吸が止まり、続いて心音が消え去った瞬間、浮かんでいた影が目を疑うような変化を見せた。
ピーという音が響いたかどうかという時、真っ黒だったシルエットに、まさにパッと花が咲いたように現れ出たのだ。
頭から足の先まで、あちこちで様々な色が浮き上がり、それが円を描く波形のように一気に広がる。看護師が心電図モニターから音を消し去った時には、そこに1人の老人の姿が浮かび上がっていた。
その顔はまさに、たった今息を引き取ったばかりの老人そのもの。そこにもベッドがあるように横たわり、何もない筈の空間で、彼はいきなり驚いたように目を見開いた。
暫く真っ白な天井を見つめて、そのままムックリと起き上がる。それからすぐ、自分を見上げている瞬の存在に気が付き、
――ここはどこだ? おまえは、何か知っているのか?
まさしく、そんな感じの顔付きをしてみせた。
そうかと言って、たった今あなたは死んだんですよ――などと声にして言える筈もない。だから瞬は黙ったまま、ただ困ったような顔だけで応える。
医師や看護師には何も見えていないのだ。2人は微塵も動揺することなく、テキパキとそれぞれすべきことに集中している。
しかし瞬には、老人の着ている服の柄までがちゃんと分かった。
そんな格好は入院する時の服装か、それとも単にお気に入りだったのか?
明るいチェック柄のシャツに、イタリアングリーンのジャケットを羽織っている。頭には真っ赤なベレー帽が乗っていて、きっと昔はそこそこにお洒落だったのだろうことを思わせた。
やせ細った顔そのものはそっくり同じ。ところが白い布が掛けられてしまったものとは、生気ある表情やその顔色がまるで違った。
そんな老人が固い顔付きのまま、瞬から視線を外してゆっくり辺りを見回した。するとすぐ下にあるベッドに気が付き、覗き込むようにして自分の姿に目を向ける。白い布で顔は見えなくても、彼は一目見て、それが自分だと分かったようだった。
一瞬だけ驚いた顔になるが、すぐに安堵するような穏やかな表情に変わる。
そこでようやく、ベッド脇に座る老婆に目を向けて、何とも自然な感じで何かを一言呟いた。
もしかしたら、それは老婆の名前だったのかもしれない。
しかし瞬には何も聞こえず、ただ唇が微かに動いたからそう感じたに過ぎなかった。
彼はその時、現れ出た老人の姿にばかり目を奪われ、すぐ傍で起きていた現象にまるで気付いていなかった。
老人の呼吸が止まり、続いて心音が消え去った瞬間、浮かんでいた影が目を疑うような変化を見せた。
ピーという音が響いたかどうかという時、真っ黒だったシルエットに、まさにパッと花が咲いたように現れ出たのだ。
頭から足の先まで、あちこちで様々な色が浮き上がり、それが円を描く波形のように一気に広がる。看護師が心電図モニターから音を消し去った時には、そこに1人の老人の姿が浮かび上がっていた。
その顔はまさに、たった今息を引き取ったばかりの老人そのもの。そこにもベッドがあるように横たわり、何もない筈の空間で、彼はいきなり驚いたように目を見開いた。
暫く真っ白な天井を見つめて、そのままムックリと起き上がる。それからすぐ、自分を見上げている瞬の存在に気が付き、
――ここはどこだ? おまえは、何か知っているのか?
まさしく、そんな感じの顔付きをしてみせた。
そうかと言って、たった今あなたは死んだんですよ――などと声にして言える筈もない。だから瞬は黙ったまま、ただ困ったような顔だけで応える。
医師や看護師には何も見えていないのだ。2人は微塵も動揺することなく、テキパキとそれぞれすべきことに集中している。
しかし瞬には、老人の着ている服の柄までがちゃんと分かった。
そんな格好は入院する時の服装か、それとも単にお気に入りだったのか?
明るいチェック柄のシャツに、イタリアングリーンのジャケットを羽織っている。頭には真っ赤なベレー帽が乗っていて、きっと昔はそこそこにお洒落だったのだろうことを思わせた。
やせ細った顔そのものはそっくり同じ。ところが白い布が掛けられてしまったものとは、生気ある表情やその顔色がまるで違った。
そんな老人が固い顔付きのまま、瞬から視線を外してゆっくり辺りを見回した。するとすぐ下にあるベッドに気が付き、覗き込むようにして自分の姿に目を向ける。白い布で顔は見えなくても、彼は一目見て、それが自分だと分かったようだった。
一瞬だけ驚いた顔になるが、すぐに安堵するような穏やかな表情に変わる。
そこでようやく、ベッド脇に座る老婆に目を向けて、何とも自然な感じで何かを一言呟いた。
もしかしたら、それは老婆の名前だったのかもしれない。
しかし瞬には何も聞こえず、ただ唇が微かに動いたからそう感じたに過ぎなかった。
彼はその時、現れ出た老人の姿にばかり目を奪われ、すぐ傍で起きていた現象にまるで気付いていなかった。