第7章 真実 - 2005年へ(4)

文字数 2,107文字

 2005年へ(4)
 


 彼は使用人全員に、くれぐれもおかしい時の豊子には近付かぬよう言い含め、次の朝一番の飛行機で東京に舞い戻った。空港から真っすぐ向かったのは矢島不動産の本社。社長室で、矢島の妻だった愛菜が彼を笑顔で迎えてくれた。彼女とは面識などなかったが、矢島の跡を継いだ後、京の存在について詳しく耳にしたようだった。
「矢島がお世話になっていた頃のように、もう一度お付き合い頂けないかしら?」
 高級を絵に描いたような分厚いソファに腰を沈めて、愛菜がそんなことを言ってきたのだ。しかし京はそんな言葉には一切応えず、ただ淡々と必要なことだけを伝えていった。住んでいるマンションを急いで売りたい。多少安くなっても構わないので、なんなら矢島不動産で買い取って貰えまいか……そんなことを口にしながら、彼はマンションのカードキーをテーブルの上に放り投げた。そして更に、マンションに残してきた権利書や印鑑など、必要なもの以外はすべて処分して構わないと言い放ってから、
「それからもう一つ、マンションの土地と一緒に手に入れた薬品工場の跡地だが、あれはまだ、あのままにしてあるのか?」
 突然そんなことを尋ねるのだった。しかし愛菜には何のことだかが分からない。キョトンとする彼女に、京は大凡の経緯を説明し、
「もしまだならだが、もう手を入れて貰っても構わないんだがな……長い間無理言って済まなかったと、あそこの担当の人間に伝えてくれ……」
 そう言った後すぐ、京はさっさと社長室を後にしてしまうのだ。薬品工場跡地に手を入れてはいけない。そんな京の言い付けは、今のところまだ守られているようだった。
「なんなら、あそこに何か建ててみればいい。先ずは、〝ろく〟なことにならんぜ」
 京は確かにそう言って、災いから矢島不動産を遠ざけていた。しかし……、
 ――今となってはもう……どんな災いが降り掛かろうと、俺の知ったこっちゃない。 
 矢島不動産の本社ビルを眺めながら、京はそんなことを強く思った。そしてふと、脳裏に愛菜の顔を思い浮かべて、
 ――あいつも、あの女と一緒にさえならなければ、もう少し長生きできたろうに……。
 などとも思う。矢島から愛菜を紹介されて、彼はすぐにその本性を知ったのだ。
 ――だから言ってやったのに……。
 しかしなぜ結婚に反対なのか、京はちゃんと伝えることをしなかった。もしあの時、しっかりその理由を説明していれば、矢島だってきっと考えるくらいはしただろう。
 ――結局……俺もあいつとおんなじだっていうことだ……。
 豊子は常にどこかで、自分以外の存在への〝見下し〟がある。そんなことも気付かんのか? そう思いながらも、一切気付きを導こうとはしなかった。京も豊子とおんなじで、所詮同じ血が流れているということなのだ。
 彼は矢島不動産本社前からタクシーに乗って、そのままどこにも寄らず羽田空港へ向かった。途中ふと、淳一の顔が脳裏に浮かび、すぐにその顔は別のものに取って代わる。
 ――あいつは、ちゃんと天に上がっていけたのか?
 続いてそんな疑念が頭を過るが、京は首を大きく振って関係ないと打ち消した。
 結局、最終一本前の便に乗り込み、京が屋敷に戻ったのは夜9時を回った頃。思いの外疲れを感じ、彼はまっすぐ3階にある客人用の寝室に向かった。シャワーを浴びるのも億劫で、部屋に入るなりそのままベッドに横になる。きっと後一、二分もあれば、グーグーいびきを掻いていた筈だった。ところがそうなる寸前、京は叩き起こされるのだ。いきなり半開きのドアの向こうから、耳を劈くようなベル音が鳴り響く。なんだ!? そう思う間もなく、宇宙船が遭難したときのような効果音が重なり響いた。京が驚いて跳ね起きると、「火事です、非難してください」という女性の声が更に聞こえてくるのだった。
 慌てて部屋を飛び出し、長い廊下の左右を見回す。しかし何の異常も感じられない。それでもこのまま無視するには、それはあまりにけたたまし過ぎる音だった。
 ――どうせこのままじゃ寝るに寝られん……。
 彼はそんなことを渋々思い、ならば4階に向かおうと早足に歩き出した。
 火元が何階のどこにせよ、階下にいる使用人たちは今頃みんな、階段でも何でも使って逃げ出したに違いなかった。ただエレベーターは普通に動き、炎や煙の気配など感じられない。きっと誤作動か、火事だったとしても小火程度のことだろう。京はそんなふうに感じて、慌てていたのはエレベーターに乗り込むまで。ところが4階に到着し、扉が開き始めた途端だった。いきなり勢いよく熱風が吹き込んでくる。更にあっと思う間もなく、両扉の間からあの老医師が飛び込んできたのだ。彼は降りようとしていた京をエレベーター奥まで押し込み、辛そうに咳き込みながらも言ってくる。
「ダメだ! もう諦めろ! あの人は狂ってるんだ! 狂っちまって、とうとう自分で火を付けやがった!」
 ――自分で火を付けた? そんな馬鹿な! 
 そう思うと同時に、昨日目にしたばかりの豊子の姿が頭を掠め、
「どこにいる? あいつは今、どこにいるんだ!?」
 気付けばそんな言葉を叫んでいた。
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