第4章  見知らぬ世界 – 金田裕次(3)

文字数 1,433文字

                  金田裕次(3)


 1千万円――それが谷瀬香織への報酬額。矢島を上手くたらし込んでくれれば、それを盾に取って離婚訴訟を起こすことができる。
 勿論、そんなことで得られる慰謝料など微々たるもの。
 だから訴訟には持ち込まず、あらゆる手段で金を搾り取ろうという計画だ。
 盗聴に盗撮……その上で矢島がもし、愛菜に暴力でも振るってくれれば最高だし、それが谷瀬香織に対してであれば尚やり易い。とにかく肉体関係にさえなっていれば、その盗撮動画をネタにするなり色々な方法が考えてあった。そして最後の最後で、金田が上手く幕引き役を演じる。ところがそんなことを実行に移そうというずっと前に、一気に計画が狂い始める。
 香織が働き始めてふた月程で、いきなり金田に言ってきたのだ。
「やっぱり、あんな女の為になんてしたくない。どうせなら、自分自身の為にやってやるわ! 安心して、あなたたちの悪巧みのことは誰にも言わないから……」
「ちょっと待ってくれ、いきなりどうしてそんなことを言うんだ? 一千万だぞ、成功するしないに関わらずだ。いや、何なら成功報酬を更に上乗せしたっていい!」
「違うのよ、お金っていうよりね、わたしはあの男が可哀想になってきちゃったの。あんな情のない女にいいようにやられてさ、わたしなら、ちゃんと愛してあげられる……そんなふうに思ったの……」
 だから計画のことは諦めてくれと宣言し、谷瀬香織はそれ以降、金田と愛菜とは一切口を聞かなくなった。
 ところがそれから約ひと月、彼女は矢島をナイフひと突きで殺してしまう。備え付けてあった防犯カメラが、素っ裸で飛び出す香織をしっかり捉えていたのだった。
 もしこの時香織が警察に捕まれば、金田はただでは済まなかったろう。彼女がどうして矢島を殺したのかは分からない。しかし何がどうあれ、香織が警察の取り調べで、事実以上のことを言い出すのは安易に想像できたのだ。
 単に、〝浮気〟という〝罠〟を仕掛けただけに留まらない、
「殺せって、そう命令されたんです!」
 彼女は力強くそう訴えて、殺人教唆だと言い張るに違いなかった。
 そんなことを金田は咄嗟に判断し、現場に香織がいたという証拠をことごとく消し去った。更にPCにある使用人のデーターを偽造して、前日で解雇になっていたように見せ掛ける。
 これで万一香織が逮捕されても、〝矢島への恨みで刺し殺した〟で辻褄が合う。と、そんな心もとない安心感を頼りに、金田は香織の行方を必死になって探した。
 駆け付けた自宅には鍵がかかっていて、一緒に住んでいる男へも連絡が取れない。
 きっと今頃、屋敷は警察の人間でごった返しているだろう。そして愛菜は、打ち合わせた通りに警察と上手くやっているだろうか? そんなことを考えれば考える程、屋敷への足が鉛のように重くなった。
 既に日は完全に沈んでいる。
 大通りを後100メートルも歩けば、いつもなら右手に門灯が見えてくる筈なのだ。
 ところが明かりはまるで見えず、代わりに点滅する赤い光が連なって見える。警察車両だった。そんな認知と共に、彼の足は根が生えたように動かなくなった。
 その時、胸ポケットが急に震え出し、聞き慣れたメロディ音が響き渡る。慌ててポケットに指先を突っ込み、最新型の携帯を引っ張り出す。見ればディスプレイが点滅し、愛菜という文字が浮き上がっている。金田の心臓は一気に高鳴り……、
 ――鳴り止んでくれ!
 天を仰ぎ心からそう思った。
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