第5章  探求 - 江戸聡子(さとこ)(6)

文字数 1,718文字

               江戸聡子(さとこ)(6)


「この間も、昔から死にそうな人が分かったって教えたよね。実はそれと同じような感じで、時々死んだ人の姿が見えちゃったりするんだ。そのお陰で、お袋なんかは随分苦労したみたいだったよ。そりゃそうだよな、死ぬ死ぬって指差してた相手が、すぐ本当に死んじゃうんだからさ。まあとにかく僕は、そんなのがたまに見えたりしたんだよ。だから大学の頃にね、何度か見たことがあったんだ……景子の死んだお母さんのこと……」
 一度目は、本当にただの偶然だった。しかしそのたった一回の偶然が、結局は景子を苦しみから救い出すことに繋がる。すべての始まりは彼女がまだ小学生で、今から30年以上も前のことだ。夫との関係に疲れ切っていた景子の母、江戸聡子は、パート先で知り合った男と不倫関係に陥る。
 取引先の営業だった男はまさにケチ臭い奴で、二度のラブホテルでの情事以降、ホテル代をケチって工場内にある仮眠室でのことを言い始めるのだ。
「だってお宅の会社、休日に出て来る社員なんていないだろ? だからいいアイデアだと思わないか? 結構ちゃんとしたベッドだってあるしさ……」
 そんなことを言って、聡子に手引きさせ休日の工場内に入り込んだ。その日も2人して一時間ほど仮眠室で過ごして、そろそろ引き上げようかという時だった。突然、仮眠室の扉が勢い良く開かれる。扉の向こうにいたのは〝伊藤課長〟で、下半身モロだしのまま立ち上がってしまった男こそ、瞬が〝後藤さん〟と呼ぶ中年男だったのだ。
 工場に休日出勤する場合、必ず前以てスケジュールボードに書き込むことになっている。当然その日のボードはまったくの空白。ところが伊藤課長はその前夜、子供への誕生日プレゼントを置き忘れて帰ってしまった。そこで車を飛ばしてやってきて、事務所に入るなり微かな空調音を耳にする。変だな? と思った彼は、そのまま仮眠室へと足を向けた。
「冗談じゃないですよ。このパートに呼び出されて来てみたら、半ば無理矢理こんなところに連れ込まれて……」
 そうなれば、自分も男だから抑えようがなくなった。などと、剥き出しの下半身を隠しもせずに、よくもまあいけしゃあしゃあと言ったものだが、なぜかこの時、伊藤課長は後藤の言葉を全面的に信用する。大事な得意先の受注担当と、たかが社内のパートという2人を天秤ばかりに掛けたのか、とにかく、表向きはまったくもってそうだったのだ。
 一方その時、聡子は震えているばかりで、反論しないどころか殆ど声さえ発しない。元々ヒステリックな部分と繊細さを併せ持っていた聡子の神経は、いきなり放り出されたこの状況に凍り付いてしまっていた。
「早く服を来て! さっさとここから出て行きなさい!」
 それだけ言って、逃げるように事務所に戻った伊藤に続いて、後藤もさっさと仮眠室からいなくなる。そうして何の言い訳も口にせぬまま、聡子の退職がその月一杯で呆気なく決まった。ところがそんなことから10日後、聡子の退職となる3日前のことだった。
「ちょうど後藤さんが工場から出た途端だったらしい。4階にあった可燃性の薬品に、なぜか火がついて大爆発が起きるんだ。後藤さんも爆発のショックで即死なんだけど、少し離れていたせいで上半身はほぼそのままで見つかった。だけど工場内にいた人達は全然そうじゃなくてね、何度かに亘る爆発のせいで、それは酷い状態だったらしい。そしてだ。本当に不思議なんだけど、爆発が起きた時、爆発現場のすぐ近くにね、伊藤課長と江戸さんが、2人だけでいたらしいんだ……」
 2人の損傷はまさに最悪。両手足だけじゃなく胴体さえも砕け散って、それらすべてが焦げ付いていた。それでも、焼けずに残った歯を採取して、肉片ともいうべきものが2人の者だと知れたのだった。
「それじゃあ、爆発にその2人が関係しているってこと? でも瞬はどうして? どうしてそんなことまで知ってるの? だって……そんな詳しい話まで、景子のお母さんが浮気してたとか、まさか景子から直接聞いたとか?」
「いや……」
 ――そうじゃない……。
 心の中だけでそう答え、彼は一時、これをどう伝えようかと考える。
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