第3章 異次元の時 -  矢島愛菜

文字数 1,090文字

                 矢島愛菜


 ついさっきまで、分厚いステーキを何度も何度も切り分け、忙しなくその肉片を口に放り込むのに夢中だった。
 なのにふと気が付けば、今はピタッとその動きが止まっている。
 ――いい加減に食べ終わってよ! 
 愛菜は横顔を矢島に向けたまま、そんな視線だけを彼へと向けた。
 その途端、愛菜の視線が凍り付く。矢島が愛菜を見ていたのだ。思わず向けた彼女の顔を睨み付け、手にはナイフとフォークが握られたまま。宙に浮いているフォークの先には、行き場を失った肉片がだらしなく垂れ下がっている。
 ――何よ! 何か言いたいことでもあるの!?
 ――冗談じゃないわよ! 病気だって事故だって、全部自分が悪いんじゃない!
 ――そんな顔して睨むくらいなら、さっさと言葉にして言ってきなさいよ!
 次々浮かび上がる矢島への言葉が、愛菜の脳裏でぐるぐる巡った。しかし一向に何も言ってはこないのだ。愛菜はとうとう我慢できずに立ち上がり、負けじと矢島を睨み返す。そうして初めて、愛菜は矢島の目にある違和感を知った。 
 ――この人……わたしのことを見てるの?
 確かに矢島の瞳は愛菜の方を向いている。しかしその目は愛菜の顔を見ていなかった。
 まるで左右の焦点が合っておらず、どこを見ているのかがよく分からない。
 ただ少なくとももっと遠くを見ているようで、なんとも気味が悪いのだ。
 一方、愛菜が立ち上がるとほぼ同時に、2人の使用人の顔が彼女の方をサッと向いた。
 愛菜はその2人をチラ見だけして、離れ立つもう1人の方に視線を向ける。
 そいつが今どんな顔をしているか、ふと愛菜は気になったのだ。
 ところが女は矢島など見ていなかった。
 矢島とは反対方向に視線を向けて、顔には薄笑いさえ浮かべている。
 どう考えても、反対側にあるキッチンに、笑いを誘うものなどあるわけがないのだ。
 ――なんなのよ? いったい、何がおかしいっての!?
 そう思った途端、愛菜の中で何かが弾けた。
 ――好きになさい! あんな情けない男、あんたにのし付けてくれてやるわ!
 声にするのをグッと堪え、心の中だけでそう叫ぶ。
 愛菜はそのまま席を離れて、ダイニングルームから出て行ってしまうのだ。
 その間、矢島が声を発することは一切なく、静寂の中愛菜の足音だけが響き渡った。
 やがて押し開かれた扉が音を立てて閉まって、使用人2人の目が何かに怯えて下を向いた。そこでもう1人の使用人も、矢島へようやく顔を向ける。
 その時だった。愛菜がいた辺りを睨み付け、矢島の大声が響き渡った。
「おい、おまえは誰だ! 誰に断ってそんなところにいる!」
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