第5章  現実 –  黒い影(9)

文字数 1,074文字

                  黒い影(9)


 ――瞬の言う……〝違うものに見えた〟って、いったいそれってなんなのよ?
 すべてを聞き終えても、瞬が言い残していた言葉が気になって仕方がなかった。
 違うものに見えた――それは、瞬が病院で声にした最後の台詞で、慎二の問い掛けによってやっと口にした一言だった。モニターからの音が消えて去って、そろそろ2時間が経とうかという頃、
「そう言えば君、ちょっと前から天井の方を見ていたよね……もしかしたら、あれがずっと見えていたのかい? このくらいの、白くぼうっと光って見えた……」
 慎二がそう言って、右手の親指と人差し指で丸く円を作って見せる。
 そこは病室を出た扉の前で、親類への説明も終わり、やっと瞬が解放されるという瞬間だった。結構な時間待たせてしまったお詫びにと、慎二は病室の外まで見送りに出た。
 その時ふと、片隅にあった疑問が彼の頭を過るのだ。
 きっと答えてはくれまいと、そう思いながらの気まぐれな問いに、瞬は意外にもそれなりの答えを返してくる。
「そうですね、病室に入ってからはずっと……ただ、こんなふうにじゃなくて……」
 そこで慎二の指先にある円を指差し、彼はほんの一時考え込むような素振りを見せた。そしてフッと短く息を吐き出してから、
「僕には、まるで違うものに見えてましたけど……」
 そう続けて、頭を慎二に向かってちょこんと下げる。そしてそのまま背中を見せて、あっという間に通路の奥へと消え去った。

                    ✳︎


 ――菊地くんてさ、今、付き合ってる人とかいるの?
 そんなことを尋ねれば、いかにも好きだって言っているように聞こえる。
 だからと言って、いきなり玄関口に現れた彼に向かって、「あのさ、教えて欲しいことがあるんだけど……」と言って、パパッと答えて貰えるような話でもない。学校では勿論聞き難いし、万一彼に付き合っている人でもいたら、次に用意している言葉だって変えなければいけない。だから散々考えた挙げ句、挨拶もそこそこにそんな質問を口した。
 ――違うのよ、幾ら幼なじみだからって、もし彼女がいたら、やっぱり悪いでしょ? 
 だから念の為に聞いたんだと、未来はそんな言い訳まで用意して、まさに間髪入れずに言ったのだった。
「いる? いない? どっち?」
 すると瞬は身体を仰け反らせ、顔を小刻みに振って見せる。そうして未来は、ゾンビでも見ているような顔をする彼に向かって、
「じゃあ菊地くん、これから一緒に……映画でも観に行かない?」
 そう言って、満面の笑みを彼へと向けた。
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