第5章  探求 - 江戸聡子(さとこ)

文字数 1,295文字

                江戸聡子(さとこ)


 高くそびえ立っている塀のお陰なのだろう。中は思った程、荒らされているという感じではなかった。それでも30年という年月はどの建物にも刻まれていて、もし近い将来大地震でも起これば、その大半は崩れさってしまいそうに見える。
 ――本当に僕は、こんなところに来ていたんだろうか?
 見覚えのない風景を目にしながら、瞬は心からそんなことを思っていた。
 彼が門から先に進むと、すぐに大きな建物が左右に2つ現れた。まるで蒲鉾のような形をした縦長の建物に挟まれて、更に奥へと続く通路がある。とは言っても、コンクリートの地面至るところから雑草が生え広がり、まるでちょっとした原っぱとでも言えそうな感じだ。瞬は朽ち果てそうな左右の建物を横目に、何かに導かれるように、それでも一歩一歩慎重にその歩みを進めていった。
 すると突然、見通しのいい広場のようなところに出た。立ち止まり辺りを見回すと、右側奥に見るも無惨な建物が見える。それは全体の3割を占めようかという広い敷地にあって、これまでとは明らかに違った壊れ方をしていた。屋根全体が吹き飛び、黒々としたコンクリートであろう壁も、二階から上はその大半が崩れ去っている。一見して、そこで爆発が起きたんだと知れる廃墟に向かって、瞬は再び、何のためらいもなく歩きだすのだった。それまでとは別人のように、ひび割れたコンクリートの上を颯爽と歩いていく。そして彼はふと、肩にかかる革製のショルダーバッグに気が付いた。
 ――そうか、今日は遅番だったから……。
 フッと浮かび上がったそんな思念に、彼は何の懸念も抱かない。だから妙に軽いんだくらいに思って、その足を更に早めるのだった。
 もし今日が早番であれば、こんな小さなショルダーバッグでは事足りない。この辺りには蕎麦屋と洋風食堂が一軒ずつあるだけで、昼時には長い行列ができてしまうのだ。だから早番の日には必ず、彼は手製の弁当を持ってくるようにしていた。
「弁当がないと、本当に軽くて有り難い……」
 そんな独り言と共に、瞬はフワフワと揺れ動くショルダーバッグを2度程叩いた。
 その瞬間、まるでそれが合図だったかのように、突然空間至るところから真っ黒な影が現れ出る。それら殆どが動きながら姿を現し、あっという間にそれぞれの色を持ち始めるのだ。やがてそこはゴミ1つない真新しい薬品工場となって、活気溢れる朝の出勤風景が彼の目の前に広がった。生え広がっていた雑草は消え去り、あっちこっちひび割れていたコンクリートは造り立てのように真っ白だ。そしてなんと言っても、屋根さえ吹き飛び、まさに焼け跡だった建物が、今はその姿をものの見事に変えている。一見すると、それはどこかの要塞のようで、大きさからもその威圧感は圧倒的。建物至るところから細長い突起が天へと伸びて、そこから幾つもの煙の筋を吐き出しているのだ。
「さて、今日も一日頑張りますかね!」
 瞬は現れ出た建物の前で立ち止まり、誰に言うでもなくそんな独り言を呟いた。そして大きく深呼吸を一回だけして、馬鹿でかい工場施設に意気揚々と入っていった。
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