第4章  見知らぬ世界 – 知っている男(2) 

文字数 1,211文字

                知っている男(2)


 そこが自分の家だと知ったのは、直感だったというより表現のしようがない。
 見たこともない建物を前にして、あ、ここだ――とすぐに感じた。
 それは天にも届きそうな建築物で、数え切れないくらいの窓がずっと上まで伸びている。瞬は下から窓を十幾つまで数えて、
 ――俺が住んでたのは、こんな建物じゃないよ!
 不意にそんな苛立ちが涌き上がった。
 幾ら念じても、外観はおろか間取りさえ思い出せない。けれど揺るぎなく、この場所で暮らしていた――という思いが心の中心に居座っている。
 実際、そんな確信に間違いはなかったらしく、彼はあっという間に玄関らしき空間に立った。まっすぐ伸びた廊下を進み、扉を開けるとリビングがある。その先には広々としたダイニングキッチンがあって、まさしく、それは見覚えのある光景だった。
 ――良かった……やっぱりここが、俺の家だ……。
 そんなふうに思って、瞬はホッと胸を撫で下ろした。ところがそんな安堵も長くは続かない。不意に、彼は得体の知れない違和感を覚えるのだ。
 ――ここは、キッチン……だよな?
 まさしくキッチンであろう空間に目を向け、瞬は改めてそんなことを思った。
 きれいに整理された部屋の壁際に、見たこともない香辛料がズラッと並んでいる。視線を少しだけその上に向けると、お玉やらフライ返しどころか、フライパンや大きな中華鍋までがぶら下がっていた。どう見ても、ここで暮らす住人は料理をする。使い込まれたキッチン道具が、そんな事実を明確に物語っていた。
 間違いなく、この空間には覚えがあるのだ。大きいテーブルも知っているものだし、数え切れないくらい、瞬はこの空間に立っていた筈だ。ところが……、
 ――俺は……何をしにこの部屋に?
 思えば、キッチンであるという認識がなかった。料理をするわけでもなく、冷蔵庫から何か取り出したなんて記憶もない。冷蔵庫の中身どころか、自分が使っていた箸や茶碗、醤油入れの形すら浮かんでこなかった。
 即ち彼はこの家で、一切食事をしたという記憶がない。
 自分は今朝起きてから……、何も食べないで出掛けたのか? 昼は未来と一緒に、確か遊園地でハンバーグを食べた。じゃあ昨日の昼は? 夜はどうしたのか? 次から次へと浮かんでくる疑問に、瞬は何一つ明快な答えを導き出せない。
 ――俺は……もしかすると……?
 ずっと心の片隅にあった恐れが、この瞬間一気に現実味を帯びてくる。
 電信柱の少女だけでなく、血だらけになった大男もきっと生きていた。
 ではどうして、彼らを死んでいるなどと思ったのか? そんな疑問への答えが口を突いて出そうになった時、瞬は視線の先に信じられないものを発見する。
 そこに、男がいたのだ。
 テーブルの奥にあるキッチンカウンターに向かって、瞬に背を向け男がごそごそと何かしている。そして驚くことに、瞬は確かにその姿を知っていた。
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