第8章 終焉 -  最期(2)

文字数 1,494文字

 最期(2)
 


 最後の最後まで、お袋とおんなじ運命から逃れられんらしい――などと更に感じて、京はそこでようやく自分の状態を確かめようする。背中に、冷たい床の感触が微かだがあった。だから仰向けで倒れているのだろうと、右肩口をそっと浮かそうするのだ。ところが肩を浮かすどころか、腕も脚も動かすことがまったくできない。指先の存在さえ意識できず、まるで首から下は無いも同じ。ただただ口の中がカラカラで、唯一喉だけが焼け付くようにヒリヒリ痛んだ。きっと想像以上に酷い状態にあると悟って、彼はそこで初めて豊子の今を意識した。
 ――あいつはどうした? もう、息絶えたか……?
 確認しようにも、今の京にはその術がまるでない。それに生きていたとしても、飲まず食わずでこのままいれば、いずれ京の後を追うことになる。
 ――あっちにいったら、少しは親子らしくできるんかな?
 ふと浮かんだそんな思いに、京は思わず笑いそうになった。ところがその時、吐き出そうとした息と一緒に、ドロッとした液体が喉元を迫り上がる。急に苦しくなって、咳き込んだら更に息ができなくなった。あっという間に京の顔を何かが覆い、すぐに匂いでそれが何であるかを知る。喉から肺に掛けて、或いはそれ以外の内蔵もそうであるのか、とにかくあっちこっちで血が吹き出るくらいのことになっているらしい。きっと痛みを感じる神経さえ焼かれて、今はある意識も、いつ終わってしまうかという状態だろう。何とかできるか細い息を繰り返し、京はようやく己の今を感じ取った。
 ――豊子さんよ……また、あっちでな……。
 そう思って、意味もなくその習慣から瞼を閉じる。するとその瞬間、瞼の裏がパッと明るくなった。脳裏に見知らぬ景色が浮かび上がって、景色中央に小さな女の子が立っている。今の時代では目にすることなど無いぼろ服に身を包み、その子は泣きながら土埃の道を1人歩いているのだ。間違いなくこれは自分の経験ではない。明らかに他人のものであろう記憶が脳裏にズケズケ入り込んでいた。更にそんな光景が次々と移り変わって、あっという間に何十年もの年月を京は知る。そしていつしかそれは、彼にとって懐かしいと思えるものへと変わっていった。ふと気付けば女の子は少女となって、あっという間に若かりし頃の母の姿になる。まさしくそれは、豊子の人生そのものだった。
 幼くして両親に捨てられ、彷徨い歩いているところを旅芸人の一座に拾われる。初めての男は彼女がまだ14歳の頃で、一座を率いていた男に半ば無理矢理でのことだった。更にそれが男の女房に知れて、豊子は再びたった1人で生きていけねばならなくなった。しかし男を知ったお陰で、女を売るという生き方を選ぶことができたのだ。自ら色街に飛び込んで、更にお遊びで始めた占いがよく当たり、豊子の存在はあっという間に評判となる。そうして豊子は、昭和という時代が始まったばかりの頃、能力をフルに使って生きていこうと決めたのだった。そんな知りもしない過去の記憶が、次から次へと刷り込まれるように己の記憶となっていく。
 ――なんだ……まだ、生きてやがるのか?
 豊子はまだ生きていて、京の身体のどこかに触れているのだろう。どこまでしぶといババアなんだ……彼はそんなことを思いながら、次々と流れくる記憶に逆らうことなく身を委ねた。するといつしか、京の思念が豊子の記憶と同期して、まるで京がそこにいるように感じられる。既に豊子の姿は老いぼれて、後は近々の記憶を残すのみとなるのだろう。記憶の移り変わりが見る見るゆっくりになって、まるで今起きていることのように目の前に広がった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み