第6章 混沌 -  更なる過去(3)

文字数 1,539文字

 更なる過去(3)
 

 ところが中学に上がると、周りが彼を放っておかなくなった。元々可愛らしい顔付きだったのが、その頃にはハーフタレントのような彫りの深い顔立ちに変貌する。年上の女子高生からラブレターを貰うようになり、もちろん校内の女生徒からの人気も絶大だった。中学3年で既に身長は180センチ以上あって、ちょっと見では大学生にだって見えないこともない。そんな彼のことを放っておかないのは女子学生ばかりではなく、中高の不良学生から、街のチンピラに至るまでとかなり幅広かった。女の子に人気があって目立つ存在、それだけのことなら、まさか街のチンピラまでがしゃしゃり出てくる筈がない。
 あいつに係わるとトンでもないことになる。彼が隣町の中学校に通い始めた頃から、そんな噂が広がり始めたのだ。喧嘩を吹っかけて勝てた奴はおらず、単にボコボコにされるなんてことだけじゃない。触られただけで気を失うだとか、気が狂れてしまうなんて噂まであった。自分から仕掛けることは先ずなかったが、噂が噂を呼んで、街で京を見つけ出し、難癖を付けてくる輩が後を絶たなくなる。
 こんな〝ここそというところ〟で、彼は思う存分力を発散させた。相手が何人いようとお構いなし。誰であろうと触れた瞬間、そいつの脳みそ目掛けて己の思念を送り込む。ほんの短い一言で、それは「おい!」だったり、「死ぬぞ!」だったりで充分だった。そうすると相手の頭の中で、拡声器でも使ったような大声が響き渡る。触れたやつは一瞬にして飛び退き、大抵の場合はそこで戦意喪失してしまうのだ。
 しかしそれでも中には、更に殴り掛かってこようとする猛者もいた。そんな場合は仕方がない。多少の痛みなどは覚悟して、自ら相手の懐に飛び込んだ。そして何があろうと、相手から身体を離さないようにする。だいたい世を拗ねている奴らには、そうなるに至るそこそこ根深い理由がある。だから流れ込んできた忌まわしい過去の記憶を、五感を掌る奴らの脳みそへ送り返してやるのだ。すると見えていた景色が一瞬にして消え去り、知らぬ間にまったく別の空間に入り込んだようになる。この瞬間、本人には何が起きているのかなど分からないだろう。経験済みのシーンを目の当りにして、夢を見ている――そんなふうに思うのかもしれない。五感が記憶の中に放り込まれ、そこには決して思い出したくないものが存在する。それは、血だらけの母親が手にしている包丁だったり、白目を剝いた女の死体かも知れない。ただとにかく、そこで100%勝負が付く。大概は10秒もしないうちに、使用人のように気を失っている場合が殆どなのだ。
 他人の記憶を自由気ままに取り込んで、更にそこから相手と意識を同期できる。流れ込んできた凄惨なシーンを脳裏に思えば、それがそのまま相手の五感すべてとなるのだ。そんな力を、京は一度だって欲した覚えなどなかった。すべては母である豊子から受け継いだものであり、そんな彼女は90歳を過ぎても尚、己を一切疑うことなく思うままに生きている。きっとこのまま症状が進んでも、彼女は最後まで何も気付かず、京が憎み嫌った豊子のままでいるのだろう。
 ――くそっ……結局、こいつは何も変わっちゃいないんだ。
 歳を取って気弱にでもなったか? そんなふうに思っていた己がアホらしく思えた。
 そしてふと気が付けば、さっきまで背中を見せていた豊子が、今は京を真正面に見据えている。睨み付けるような鋭い眼光を向け、40年前とまったく同じ台詞を京に向かって口にした。
「どうした? なに不安そうな顔をしているんだい? 大丈夫だよ、すべては、わたしに任せておけばいいんだから……」
 豊子はそう告げた後、さも誇らしげな顔を京に向かって見せるのだった。
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