第7章 真実 - 日御碕灯台(2)

文字数 1,541文字

 日御碕灯台(2)


「何ならさ、あんたが一緒になってやったらどうなんだ? あの女のこと、あんた前から好きだったんだろ? 俺、前から知ってるんだぜ」
 京はそう言った後ヘッヘッと笑って、そのままその場を立ち去ろうとするのだ。そしてまさにその瞬間、後ろを向きかけた京の頬に、いきなり淳一の拳が突き刺さった。ガツンという衝撃と共に、京の身体が大きく揺れる。咄嗟に二発目を警戒して身構えるが、既に淳一は背中を見せて歩き出しているのだ。更にその一瞬の間に、淳一の思念が脳裏に流れ込んだ。それはまさに拳から伝わった、突き刺すような京への敵意。もしこの瞬間、殺人という行為が合法となったなら、淳一は迷わずに京の首に手をかけてくる――そう思えるくらいの、それはそれは強烈なるものだった。もう俺のことを許してはくれまい。ふとそんなふうに思って、京は首を小刻みに振った。こんな力がある限り、自分はずっと1人なのだ。恋人なんてものなら勿論だし、ちょっとした知り合いでさえ、いずれ嫌でも心の暗部に触れてしまう。
 ――遅かれ早かれ、結局はこんなことになるんだ。
 だから淳一だって例外じゃない。そう思い直し、京はそれから暫くの間、淳一が見えなくなるまでその後ろ姿を眺め続けた。
 その後京の不安を他所に、何事も起きないまま四ヶ月が経過する。夏が過ぎ去り、秋がどんどん深まりつつあった頃、それは本当に思いもしない出来事だった。
「どうした? なに不安そうな顔をしているんだい? 大丈夫だよ、すべては、わたしに任せておけばいいんだ……これまでも、ずっとそうだったようにね……」
 赤ん坊を背負っているのを偶然見掛けた。だから康江と赤ん坊を車に乗せて連れ帰ったと、豊子が突然言ったきたのだ。偶然見掛けた? 康江が赤ん坊を連れ歩くようなところに、あの豊子が自ら足を踏み入れようとする筈がない。何を企んでいるんだ! そんな驚きを隠せないでいる京に向かって、豊子は自信たっぷりにそんなことを口にした。そして更に、康江の前では口を開かぬよう念を押し、
「いいかい、娘と目だって合わせるんじゃないよ。あんたはね、ちょいとその辺が弱々しいから、わたしは心配でしょうがないよ……」
 そう続けてから、さっさと先に部屋を出てしまうのだ。勿論のこと、京には拒むことなどできやしない。だから仕方なくその後に付いていき、康江を待たせているという大広間に向かった。豊子に続いて部屋に入ると、120畳ある部屋のほぼ真ん中辺りに、康江が正座姿で不安そうな顔を見せている。幾分太ったように見える康江の隣には座布団が敷かれ、その上で丸々とした赤ん坊がスヤスヤと寝息を立てている。
 最初康江は京の姿を見つけて、不安げだった顔を一気にパアッと明るくした。しかしすぐに京の視線はそっぽを向いて、その後はまるで康江の方を見ようともしない。そんな姿はまさしく、おまえとは、もう終わった……。身体全体でそう訴えているようだった。康江もすぐに顔を強ばらせ、京から視線を外して下を向く。そしてそんな俯き加減のままポツリと、それでも精一杯であろう声を出した。
「この子は、京さんの子供です……」
 そう呟いた後、康江はグイッと顔を上げ、豊子の顔をここぞとばかり睨み付けた。
「あら、そうかい? それはおかしいねえ……」
 豊子も真っすぐ康江を見据え、間髪入れずにそう続ける。
「息子はね、身に覚えがないって言うんだよ。よおく考えておくれよ。こっちは大事な跡取り息子なんだ。そちらさんと違ってね、いい加減なことがあっちゃ困るんだよ。世間様はああだこうだうるさいしね、あんただってそのくらいのこと……ねえ、わかるだろ?」
 最後の一言だけ妙に芝居がかった声を出し、豊子はほんの少しだけ顎を上げた。
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