終章    2016年(2)

文字数 1,042文字

 2016年(2)



「ご無沙汰してます……長い間、御心配……お掛けしました……」
 それは紛れもなく慎二への声で、随分掠れていたが、それでもしっかり耳に届いた。
 彼は2人に会うと必ず、そんな瞬の言葉を思い出す。あの日、あの瞬間が訪れるまで、娘の明るい将来など諦めていたのだ。まさか今日のような日がやってくるとは、自分以上に優子だって思いもしなかった筈だ。
 あれから、彼は不思議なくらい順調な回復を見せ、半年後には大学に復学する。と同時に、未来の強い希望もあって2人は結婚。周りからの手厚い援助のお陰もあって、瞬が足掛け2年で大学を卒業する頃には、2人の間には生まれたばかりの〝翔太〟がいた。そして瞬は元々、卒業後の一般企業への就職は考えておらず、大学に通いながら進むべき道を探し続けていたのだった。
「どうにも、この世界ってまだ馴染めなくてさ……」
 だからと言って昭和の時代に戻れるわけも無く、彼は復学して暫くした頃、卒業後どこか田舎に行って農業をしていきたいと未来に打ち明ける。そんな話を耳にした淳一は、あっという間に世田谷の土地を売り払い、康江の実家の土地も半分売って、残った土地に自分の住む小さな家を建ててしまう。そして手元に残った結構な金額を、すべて瞬と未来へ譲ると言って、
「どこだっていい。2人が住みたいと思うところを、じっくり探して決めたらいいさ」
 そう言い残し、さっさと出雲の地に引っ込んでしまった。その後2人は話し合い、思いの外すぐにどうするかが決まる。
「あっちの人はみんな優しかったよ。タクシーの運転手さんや駅員さん、喫茶店のマスターだって、本当にいい人ばっかり。だから、出雲でいいじゃない……。それに結局、わたし日御碕の灯台どころか、出雲大社とか松江城だって見たことないんだからね。向こうに行ったら、暫くは瞬にバンバン案内して貰っちゃおう!」
 そんな未来の言葉が決定打となって、2人は淳一の住まいから、そう離れていないところに住むんだと決める。きっと未来も本当のところは、慣れ親しんだ東京を離れたくはないだろう。しかし瞬にとっての今とは、大学4年生からいきなり、20年後にタイムスリップしたようなものだ。新たな土地でやり直したい。それは都会などではなくて、大自然に囲まれたところがいいという気持ちが、未来にも充分理解できた。だから心の底からそう言って、出雲に行こうと言ったのだった。
 その後すぐ、2人は出雲地方の古民家を手に入れ、瞬の卒業と同時に市から農地を借り受けた。
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