第5章  現実 –  未来の苦悩(2) 

文字数 1,557文字

                 未来の苦悩(2)


 結果、男の子の正面にある席だけがポッカリ空いて、未来は申し訳なさそうに頭を下げてからその席に座る。
 若い夫婦はその時、未来の方を殆ど見ようとしなかった。
 どう見ても若くはない女性が、なぜか遊園地のレストランで1人食事をしようとしている。きっとそんな印象が視線を未来から遠ざけたのだろう。
 何にしても、瞬は男の子と完全に重なっていた。まるで瞬の身体の中に、その子が住みついているようにも見える。
 しかし若夫婦には我が子しか映っていないし、未来はそうそう瞬の方を向くわけにもいかない。一方瞬はいつものように、未来の食べている様子に目を向けているだけ。
 それでも時折、結構イケルだのなんだのと、未来の頭に明るい声で囁きかけてくる。しかし未来の声は念じるだけでは届かない。両親を目の前にして、その子供と重なっている彼に向かって、そうそう声を出す訳にはいかなかった。
 ハンバーグを半分とちょっとだけ平らげ、後は瞬が食べ終わったと思い込むまで待つ。いつもなら食べるのを止めて1分もしないうちに、自分も食べ終わったと勝手に勘違いしてくれる。
 こんな時、お皿の上にそれなりの量を残しておくことが大事なのだ。まだこんなことに慣れていない頃、未来は一度だけ大失敗したことがあった。
 それは、瞬が現れ始めて1年くらいが経った頃、未来はまだ実家にいて、彼もその頃は様々なところに現れていた。
 ある日勤め先の食堂で昼食を取っていると、前の席にいきなり瞬が座っている。何をするわけでもなく、やはり未来のことをただ見つめているのだ。ところがその後すぐに、彼の顔が悲しそうに歪んだと思ったら、フッとその姿が消え去ってしまった。
 この時、未来が食べ終わったランチプレートを、同僚が自分のものと一緒に片付けてくれたのだ。
 大抵の場合、瞬には未来しか見えていない。だから急に消えてしまったランチプレートに驚き、理解できないままさっさと消え去ってしまった。自転車にぶつかった時も、彼は倒れ込んだ未来を認知できずに、今にも消えてしまいそうだったのだ。だから遊園地のレストランでも、未来は懸命に叫んでいた。
「ちょっと待ってください! まだ残ってるじゃないですか!?」
 付け合わせの野菜が乗っている程度じゃない。ハンバーグが3分の1以上残っていて、目玉焼きに至っては一切手を付けていなかった。なのにウエイターの手が伸びてきて、テーブルにある皿を持ち去ろうとする。未来は間髪入れずに声にして、突き出された腕をパッと掴んだ。
 ウエイターがビクッと身体を震わし、思わずその顔を引き攣らせる。しかし次の瞬間、「ちぇっ!」という舌打ちとは思えぬはっきりとした声が聞こえて、ウエイターは皿から手を離してしまうのだ。浮いていた皿が音を響かせテーブルに着地。その瞬間、ハンバーグと目玉焼きがほんのちょっとだけ宙に浮いた。未来が驚いて手を離すと、ウエイターが彼女の顔を覗き込み、なんなんだよ! そんな顔を一瞬だけ見せる。そして何事もなかったように、さっさと立ち去ってしまうのだった。
 未来はその時、自分の顔がカアッと熱くなるのを感じた。
 若いウエイターへの怒り以上に、慣れたとはいえやはり恥ずかしかった。
 それでも無事にレストランから出られればいい。そんなふうに思って瞬の方を覗き見ると、男の子の姿がさっきより随分はっきりと見える。そしてなぜか、瞬が知らぬ間に立ち上がっていた。未来の方をぼんやり見てはいるが、その表情は既に自分の世界に入り込んでいる顔だ。
 男の子がはっきりしている分、彼の下半身はかなり掠れて見えるのだ。
 更に上半身は一見何でもないようだったが、時折後ろを人が通ると、その様子が手に取るように透けて見えた。
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