第7章 真実 - 日御碕灯台(3)
文字数 1,177文字
日御碕灯台(3)
すると突然、康江が勢い良く立ち上がる。その勢いのまま突進し、京の両腕に掴み掛かった。正面に鎮座する豊子と違って、京は未だに入ってきた辺りに立ったまま。ドンという音がして、京の背中が激しく襖にぶつかった。何するんだ! そう吐き出そうとしたその瞬間、目の前に康江の顔があったのだ。下から覗き込むようにして、目から涙がポロポロ零れ落ちている。どうして? 血が止まる程に京の両腕を握りしめ、彼女の目はそう訴えながら京を見上げて潤んでいた。
――どうしてだって? 冗談じゃない!
途端、そんな感情が渦を巻く。
――どうしたら、生むなんてこと決断できるんだ?
そう思えば思う程、康江の顔が別の生き物のように気味悪く見えた。やがて京の目は康江から外れ、何もない空間を彷徨い始める。そうして2秒か3秒か、決して10秒までにはならない静寂の後、康江の指から漏れ落ちるように力が抜ける。痛い程だった感触が消え去り、視線の片隅にあったその姿もフッと消えた。
京はそれでも、視線を動かそうとはしなかった。康江が赤ん坊を抱きかかえ、部屋を出て行こうとする気配を知っても、
――どうしてだ? いったい、どうして……?
――そこまでのことか? いや違う! 断じて違う!
そんなことばかりを自問自答し続ける。その間に、康江は襖の脇に立って、赤ん坊を抱きかかえたまま軽く頭を垂れるのだった。そして視線を上に向けたまま、くるっと背を向け、静かにその姿を消し去った。
そんなことから半日くらいが経った頃、既に陽が沈みかけていて、昼間の暖かさが嘘のように冷たい風が吹いていた。普段であれば、もうとっくに仕事も終えて、自宅近くで一杯やってる頃なのだ。ところが今、淳一は仕事場から真っすぐ帰宅して、またすぐに出掛けようとしている。
康江が帰ってこない。彼女の父がそう言って、仕事場に現れたのは昼を回ったばかりの頃だ。まさかまた、二階堂のガキの仕業じゃないか――などと言って、何か知らないかと淳一の元にやってきた。当然淳一が知っている筈もなく、彼はすぐに肩を落としてどこかへ消える。それでも仕事が一段落してから、康江の自宅へ電話を掛けてみたのだった。すると午前中赤ん坊を連れ出たっきり、もうかれこれ7、8時間帰ってこない。今は警察に届けるかどうか思案中だと、今度は母親が今にも泣きそうな声を出した。
こうなるともう放ってなどおけない。汚れた作業服を着替えに自宅に戻り、パパッとシャワーだけ浴びて外着を着込む。玄関扉に鍵を掛け、今まさに飛び出そうとしたその時だった。家の中から電話のベル音が聞こえてくる。勿論こんな状況で、電話を無視などできようもない。見つかったか! そんな期待を大いに感じて、彼は家の中へ戻っていった。ところが電話は予想に反して、驚きの声を伝えてくるのだ。
すると突然、康江が勢い良く立ち上がる。その勢いのまま突進し、京の両腕に掴み掛かった。正面に鎮座する豊子と違って、京は未だに入ってきた辺りに立ったまま。ドンという音がして、京の背中が激しく襖にぶつかった。何するんだ! そう吐き出そうとしたその瞬間、目の前に康江の顔があったのだ。下から覗き込むようにして、目から涙がポロポロ零れ落ちている。どうして? 血が止まる程に京の両腕を握りしめ、彼女の目はそう訴えながら京を見上げて潤んでいた。
――どうしてだって? 冗談じゃない!
途端、そんな感情が渦を巻く。
――どうしたら、生むなんてこと決断できるんだ?
そう思えば思う程、康江の顔が別の生き物のように気味悪く見えた。やがて京の目は康江から外れ、何もない空間を彷徨い始める。そうして2秒か3秒か、決して10秒までにはならない静寂の後、康江の指から漏れ落ちるように力が抜ける。痛い程だった感触が消え去り、視線の片隅にあったその姿もフッと消えた。
京はそれでも、視線を動かそうとはしなかった。康江が赤ん坊を抱きかかえ、部屋を出て行こうとする気配を知っても、
――どうしてだ? いったい、どうして……?
――そこまでのことか? いや違う! 断じて違う!
そんなことばかりを自問自答し続ける。その間に、康江は襖の脇に立って、赤ん坊を抱きかかえたまま軽く頭を垂れるのだった。そして視線を上に向けたまま、くるっと背を向け、静かにその姿を消し去った。
そんなことから半日くらいが経った頃、既に陽が沈みかけていて、昼間の暖かさが嘘のように冷たい風が吹いていた。普段であれば、もうとっくに仕事も終えて、自宅近くで一杯やってる頃なのだ。ところが今、淳一は仕事場から真っすぐ帰宅して、またすぐに出掛けようとしている。
康江が帰ってこない。彼女の父がそう言って、仕事場に現れたのは昼を回ったばかりの頃だ。まさかまた、二階堂のガキの仕業じゃないか――などと言って、何か知らないかと淳一の元にやってきた。当然淳一が知っている筈もなく、彼はすぐに肩を落としてどこかへ消える。それでも仕事が一段落してから、康江の自宅へ電話を掛けてみたのだった。すると午前中赤ん坊を連れ出たっきり、もうかれこれ7、8時間帰ってこない。今は警察に届けるかどうか思案中だと、今度は母親が今にも泣きそうな声を出した。
こうなるともう放ってなどおけない。汚れた作業服を着替えに自宅に戻り、パパッとシャワーだけ浴びて外着を着込む。玄関扉に鍵を掛け、今まさに飛び出そうとしたその時だった。家の中から電話のベル音が聞こえてくる。勿論こんな状況で、電話を無視などできようもない。見つかったか! そんな期待を大いに感じて、彼は家の中へ戻っていった。ところが電話は予想に反して、驚きの声を伝えてくるのだ。