第6章 混沌 -  二階堂京(2)

文字数 2,137文字

                二階堂京(2)


「日御碕にいたんだ。多分僕はそこから、昔海に落ちたんだと思う……」
 未来の前に戻ってしまう直前だった。彼はそんな記憶を微かに感じて、脳裏に島根半島全景を思い浮かべる。
 ――ここは、出雲大社からもきっと近い……。
 そんな事実を思うと同時に、彼は未来のことを微かに思った。その時、前日に彼女が放った一言が、一瞬だけ頭の片隅に浮かび上がる。
「宍道湖の西側から見る朝日が最高なんだって、あと、せっかく出雲市に行くんだから、出雲大社にも行ってみない?」
 ホテルの部屋に入るなり窓へ駆け寄り、未来は宍道湖の夜景から振り向きざまそう言った。
 不意にそんな言葉を脳裏に浮かべ、瞬はあっという間に日御碕から消え去っていた。
「ねえ瞬、その日御碕って、いったいどの辺にあるの? 仮にそんなところから落ちちゃったとしてよ、どうして、そんなことになっちゃったわけ?」
 自殺でもない限り、海に落ちる為にそんなところへ出向く筈はない。とにかくあの頃の瞬には、きっと日御碕に行かねばならない理由があった。
「島根県の左端、日本海に面してる岬なんだ。だた、それが本当に今日という日の日御碕なのか、もしかするとまた、誰かの記憶の中にいただけなのかもしれないけど、気付いたら僕は日御碕にいて、その傍に出雲大社があるってことまで知っていた……」
「え? じゃあまたお母さんの実家の傍なの?」
「そうだね、それにあの辺は母さんだけじゃなくて、父さんも長い間住んでいたらしいからさ、もしかすると、父さんに聞いた方が早いのかな? 二階堂って男のことも含めてね……」
「ええ! そうなの? なんでもっと早く言ってくれないのよ!」
 未来は驚くようにそう言ってから、フッと突然神妙な顔を見せた。そして暫し考え込むような素振りの後、ポツリと囁くように言うのである。
「あのね、わたし実はずっと気になってたことがあるんだけど、もしお父さんに聞くことになるんなら、やっぱりこれも、一緒に聞いておいた方がいいだろうって思うんだ」
 そう言ってから未来が告げた話とは、彼にとってかなりショックな内容だった。そしてそんな告白が更なる決定打となって、2人は出雲市行きをさっさと取りやめる。
 早速東京までの切符2人分を手に入れ、ホーム一番奥にあるベンチで列車を待った。ちょうど特急やくもは出発したばかりで、次までは一時間近く待たなければならない。この時、未来は不覚にも眠ってしまった。そしてあっという間に夢を見る。夢の中で彼が未来の名を呼んでいて、なのに姿はまるで見えないのだ。
「瞬、どこにいるのよ!」
 そう言ってすぐ、あ、と思って顔を上げた。なんだ、やっぱり夢なんじゃない……と思うと同時に、未来は再び瞬の声を聞いたのだ。慌てて向ける視線の先に、瞬とは思えぬ、されど彼としか言い様のない姿が目に飛び込んできた。
「瞬! どうしたの!?」
 そんな未来の声に、彼も懸命に何かを言って返してくる。
 しかしその声はもう言葉にはならず、まるで獣の遠吠えだった。瞬はベンチから先10メートルくらいのところ、まさに線路の真上にぽっかり浮かんでいた。身体は粘土細工のように歪んでいて、手足がどうなっているのか判別がつかない。大気の流れによって変化するように、身体が幾重にもねじ曲がって渦を巻いた。
 顔にある筈の目や口はグジャグジャで何もかも一緒くた。
 そしてきっと苦しいのだ。まるで断末魔にあるかのような叫びに交じって、時折〝みき〟と言っているのがどうにか分かった。やがて呆然と見上げる彼女の前で、何かに吸い込まれるように見る見る小さくなり始める。
 そうなってからやっと、「瞬!」と、未来は再び大声で叫んだ。
 しかし彼からの反応は最早なく、まるで残り湯が排水口に吸い込まれるように、その姿は回転しながら跡形もなく見えなくなった。そして数秒、未来は完全に放心状態。やがて凍り付いた脳にゆっくり血が巡り始め、目の前で起きたことの意味がじわじわと沸き上がる。
 思念だけの瞬が苦しみながら消えてしまった。
 見たこともない消え方で、これが彼が望んでのことではないのは明らかだ。となればいったい、たった今起きたことは何を意味するのか? 
 ――そんなの、嫌だ……。
 病院にいる瞬に何かが起きた……それがもし、最悪となる結果であれば、もう二度と彼と会うことは叶わないだろう……。
「そんなの、嫌だよ……」
 ふと声になった思念は、すぐさま未来の心を支配していく。やがて拒絶する気持ちが怒りに変わり、彼女の思いのすべてとなった。
 ――結果こんなことになるのなら、どうして未来の前に現れ出たりしたのか? 
「ねえ瞬! そうでしょ! そう思うでしょ!? 何とか言ってよ! お願いだから!」
 瞬が消え去った辺りに向けて、未来は声を限りにそう叫んだ。
 しかし見つめる先には何の変化も現れない。瞬の応えなどまるでないまま、それでも1歩1歩線路に近付き何度も声を上げ続けた。そうしてあっという間にホームを横切り、足先が後1歩でホームから出てしまうという時だ。
 列車の汽笛が辺り一面に響き渡る。
 えっ! と思ったその瞬間、未来の意識もあっという間に消え去った。 
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