第5章  現実 –  黒い影(7)

文字数 693文字

                 黒い影(7)

 ――あなたはあのおばあちゃんを背負って、いったいどこで何をしていたの……?
 未来は何度もそんな言葉をなぞっては、言い出すことができずにそのままグッと呑み込んだ。そんな日々が数週間続いて、何も言い出せぬまま夏休みに入る。そうなれば彼を見掛けることもなくなり、未来の感心も少しずつ薄らいでいった。

「行っちゃいましたね……」
 それはまるで、独り言のような感じだった。病室には菊地という高校生の他に、病院に入ったばかりの新人看護師がいるだけだ。行っちゃいました――この言葉をそのまま取れば、やはり〝あれ〟ついて言っているのだろう。そんなことを瞬時に思い、彼は声の主へと顔を向ける。当然その声は看護師にも届いていて、2人して名も知らぬ高校生の顔をじっと見つめた。
「あれ……のことだよね?」
 それが何であるかを知らぬまま、彼はそう言って天井の方をそっと指差す。すると菊地という高校生が、躊躇いがちにほんの少しだけ顎を引いた。彼はチラッとだけ看護師に視線を送り、すぐに上を向いて深呼吸のような溜め息をつく。ふーっと大きく息を吐き、そこでやっとホッとした表情を見せた。そして不安そうにしている高校生に向かって、静かだが、しっかりした口調で更に続けた。
「長いこと医者やってるけど、あんなのを見たのは今日が初めただよ。変なことを言うようだが、あれはやっぱり、2人の魂だったんだろうか……?」
 言い始めの笑顔が徐々に消え失せ、終いには戸惑いともいえる表情が浮かんだ。その時ちょうど、看護師が老婆の手を取り、顔を振って存命でないことを医師へと伝えてきたのだった。
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