第6章 混沌 -  日御碕

文字数 1,617文字

 第6章 混沌 - 日御碕

「交差点を左折してきたダンプカーがね、横断歩道の先に立っていたわたしに気付かなかったの。わたしもお母さんの方を向いていたし、きっとその時、わたしちょっとおかしくなってたんだと思う。お母さんの顔がパッと変わって、わたしが何って振り向いたら、もうダンプが目の前だった。ああ死ぬんだなあって、その時そんなこと思ったのだけ覚えてる。それからね、お父さんのところに運ばれて……今でもたまに思い出すけど、あれは、本当のことだったのかなあって思うんだ。きっと瞬は覚えてないんでしょ? わたしが死にそうだった時、あなたが助けてくれたんだけど……」
 助けてくれた――それはあくまで印象で、その時瞬の声は一切聞こえなかった。横たわる彼女のすぐ傍にしゃがみ、何か呼び掛けているように見えたのだ。そして彼の傍らには優子がいて、血塗れの未来の手を握りしめながら涙をポロポロ流していた。 
「多分、わたしは事故現場を空中から見てたのね。何話してるのって思った気がする。でね、フッと気が付いたら、次に目が醒めたらね、わたし何も着てないの。手術で裸になるなんてこと知らなくて、勿論全部剥き出しって訳じゃないんだけど、とにかくそこにお父さんもいるのよ、不思議なくらい怖さなんて感じなくて、ただちょっとだけ恥ずかしいって思ってた。でね、そこにも瞬がいたのよ。上を向いて、わたしのことをジッと睨み付けてるの。なんでよ! どうして睨んだりするの? 瞬がずっと出てこないからこんなことになったんじゃないって、多分瞬に向かって叫んだ気がする。そうしたらね、急に死ぬのが怖くなってね。どうしてこんな歳で、わたしは死ななきゃならないのって、どんどん腹が立ってきたのよ。でもきっと、その時そう思えたからこそ、今もこうして生きているって思うんだ……」
 実際、かなり厳しい、というのが所見における印象であり、誰も口にはしなかったが、その時点ではきっと全員一致の見解だった。
 手術室で何度も心房細動を起こし、生死の境を彷徨い続けた。それでも何とか乗り切って、未来はそんなところからの生還を果たす。
「ずっと目が覚めない可能性もあったんだって。頭を強く打っててね、わたし1週間くらい眠ったままで、両親も随分心配したらしいわ。でも不思議なくらい普通に、まるでいつもの朝だって感じで目が覚めたの。目が覚めて、すぐに瞬の顔が見えたわ。やっぱりそこにも瞬がいて、優しい顔でわたしのことを見下ろしてた。その後すぐ病室が大騒ぎになって、気が付いたら瞬はいなくなってたわ。でもね、その時わたし思ったの。これからも瞬と一緒に生きていくって、わたしが目覚めさせてみせるからって、その時わたし、病室で心から誓ったのよ……」
 ――でも……もしあの時目覚めなかったら、わたしも瞬のようになってたのかな?
 続いて浮かんだそんな疑問を、未来は慌てて心の奥にしまい込んだ。とにかくその後、3ヶ月の入院とハードなリハビリを経て退院へとこぎ着ける。
 そもそも、目黒と別れようと決心して初めて、未来は瞬が現れていない事実に気が付いたのだ。慌てふためき、きっと彼は知ってしまった、わたしの元から消え去ってしまったと今更ながら恐怖する。
 どうしたら、彼は再び姿を見せるのか? 
 幾ら考えてもそんな答えは見つからず、未来は病室に簡易ベッドを持ち込んで、彼が現れるのを夜通し待った。先ずは3日分の着替えを用意して、仕事を終えると一目散に病室に戻る。しかし3日経っても、瞬は未来の前に姿を見せない。
 そうして4日目となる明け方、極度の睡眠不足のまま着替えを交換しに家へと向かう。社員用のシャワーなどではなく、家でゆっくり湯船に浸かりたかった。そうしても、出勤時間まで2時間はベッドの上で眠れる筈。そんなことを考えながら、未来がいつもの通りを歩いていると、
「未来……ちょっと……」
 ふと、そんな声が聞こえた気がした。
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