第5章  現実 –  未来の苦悩(5)

文字数 1,018文字

                 未来の苦悩(5)


「これが……僕?」
 目の前に横たわるものを見つめて、瞬は思わずそう呟く。
 ――これが、今の俺なんだ……?
 充分覚悟していた筈だった。それでも声になってしまう衝撃に、瞬は暫し何も言えずに立ち尽くした。
 遷延性意識障害――重度の昏睡状態を指す症状で、俗に言う植物人間のことだ。
 いきなりそんなものになっていると告げられ、最初は、だから何なんだ? という感じだった。実際その姿を目にしても、自分だと思えるまでに結構な時間だって掛かる。
 骨と皮ばかりで、申し訳程度にほんの少しの肉がある。
 シワが顔の至るところにあって、痩せて黒ずんでいるその輪郭も、記憶にあるものとはかなり違った。しかし目や鼻、そして口元の感じは、記憶の中の自分と似ていないこともない。
 未来の言うところによると、瞬は大学4年生の春から1年間、ずっと行方不明だったらしい。母親を亡くしたばかりだった彼は、大学で未来の顔を見るなりこう言ったのだ。
「明日から、2、3日旅行に行ってくるよ」
 ところが1週間経っても、瞬は大学に姿を現さない。
 携帯などない時代だ。未来は瞬の家に電話して初めて、彼の行方不明という事実を知った。
 2、3日旅行に行ってくる――そんな言葉を最後に約20年、本当の意味で未来は彼の声を聞いてはいない。
「姿は見えるし、言っていることもちゃんと分かるのよ、でもね、それが本当だって、どうして分かる? もしかしたら、わたしの勝手な思い込みかもしれないじゃない?」
 そう言って、未来は4本目となるビール缶を飲み干してから、ふーっと大きく息を吐いた。そして瞬から視線を外し、ほんの少しだけ戯けた感じで更に続けた。
「もし、ぜんぶわたしの思い込みで、何から何まで一人芝居だったら、これってとんだお笑いよね。でもね、わたし思うんだ。本当はその方が良かったのかもしれないって。だってそれなら、病院で治して貰えるでしょ? それに両親だって、何々っていう病気なんだから、色々あるのも仕方がないなって、そんなふうに思ってくれると思うのよ。でも残念ながら違ったんだ。本当に、瞬はわたしの前に現れていた。少なくともわたしの勝手な思い込みじゃないって、わたしあることでちゃんと知ることができたの……だから……」
 それから未来はずっと、瞬の回復だけを願いながら生きてきた。
 意味も分からぬ存在と共に、たった5年間の思い出を胸に抱きつつ……。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み