第6章 混沌 -  血脈(3)

文字数 2,190文字

 血脈(3)
 

 それから30分後、未来は瞬の病室にいた。更に30分後には未来の連絡で彼女の両親も駆け付ける。ところがその時、本人は既に病院を後にして、たまたま通り掛ったタクシー乗り込んでいた。夜10時発の寝台特急〝サンライズ出雲〟に乗車する為、着替えも何も持たずに東京駅へと向かっていたのだ。
 未来が病院に着いてすぐのことだった。病室に入ろうとした時、扉を開ける寸前未来を呼ぶ声がどこからか聞こえる。慌てて振り返ると、すぐ後ろに連絡をくれた小島悦子が立っていた。更に彼女は、「ちょっといい?」とだけ言って、ナースステーション前にある長椅子を指差す。きっと病状に関することだろう。未来はすぐにそう思って、既に歩き始めている小島悦子の後ろに付いていった。すると小島悦子は、まだ誰にも伝えていないんだと前置きをして、未来がまったく予想していなかった話を語り始める。
「このことは、今の病状とは直接関係ないの。だから、余計な心配をかけない方がいいと思って、今のところは内密にしてあるわ。だけどあなたには、何でも話すって約束しているし、だから一応、伝えるわね……」
 昨日、何者かが瞬の病室に入り込んで、彼の口元を塞いでいた。幸い淳一が見かけて事無きを得たが、これは本当なら殺人未遂事件だ。なのに淳一は、どうせ馬鹿なやつのいたずらに決まっている、公にする意味がないと言って、ここだけの話にして欲しいと頼み込んだらしいのだ。ここまでは瞬から聞いて知っていたし、今となっては、表沙汰にしたくない淳一の気持ちも充分に分かる。ところが、これで話は終わりではなかった。更に今日誰もいない筈の瞬の病室で、突然ナースコールのスイッチが押される。ナースステーション前に置かれた入室ノートを見ても、その時間に病室を訪れている見舞客はいない。
「呼吸器のマスクが床に落ちていたの。だいたい、自然に外れる訳ないし、勿論彼が動き回れるんなら話は別なんだけど……とにかく、その少し前に、マスクがちゃんと装着されているのをわたしも見てるのね。だからその後すぐ、誰かがマスクを取り去って、そうしておいてから、わざわざナースコールをして立ち去ったとしか考えられないのよ」
 二日続けてこんなことがあっても、淳一はその姿勢を変えることはなかった。いったいどうして……? そんな顔付きで聞いていながらも、未来は心の底ではまったく別のことを考える。
 ――自分の息子だと知っていて、また、瞬を殺そうとしたってことなの? 
 しかしそれならどうして……わざわざナースコールなどを押したのか? 幾ら考えてもその意味が分からない。ただ分かっているのは、そんなことをするのはあいつしかいないということだった。
 それから、ほんの一時だけ瞬の様子を見守ってから、未来は早々に病室を抜け出した。淳一だけには本当のことを告げて、両親には瞬の先祖の墓に手を合わせに行ってくると伝える。当然両親は驚き、特に優子は何かを言いたそうだった。それでもさすがに、そこでは何も言ってはこない。未来は病院の廊下を歩きながら、携帯で出雲までの一番早いルートを検索する。するとあっという間に、翌朝始発の飛行機に乗れば、9時半には出雲市に着くことができると出た。ただもし、万一途中で瞬が現れるとするなら、それは絶対に飛行機ではない。どうせ家に帰っても眠れやしないのだ。それならば、東京駅22時発の〝サンライズ出雲〟に乗っていこう! と、ルート検索の最後の最後で、未来はやっとそう決める。
 ――へえ……今時こんな列車が走ってるんだ、ぜんぜん知らなかった……。
 未来にとって、それは生まれて初めての寝台列車。寝台なんかに乗る人いるの? くらいに思っていたが、それがトンでもない間違いだったのだ。ギリギリで窓口に飛び込んだ時、残っていたのはB寝台個室シングルのキャンセル分が1枚だけ。それ以外のA寝台やツインなどすべて満席で、キャンセルがなければぐうの音も出ないところだった。
 ――へえ〜 なんか不思議……どうして、こんな子たちが寝台で旅してるの?
 乗り込んだら乗り込んだで、やはり予想外の光景にそんなことを思ってしまう。個室寝台の乗客が、見事に若い女性ばかりだった。確かに寝台列車というイメージとは違って、とにかく室内はきれいだ。狭いことは狭いけれど、1人で寝るには充分。枕は当然として、寝間着、スリッパに毛布、そして何よりも大きな鏡が付いているのは、当初から若い女性客をターゲットとしていたからだろう。
 とにかく、そんな若い乗客に交じって、未来にとって2度目となる出雲への旅が始まった。走り出して暫くすると、どこからか若い女性の楽しそうな声が聞こえてくる。きっと違う理由で乗り込んでいれば、今ここに、多少掠れていようが瞬が一緒だったなら、少しは楽しい気分でいられたろう。そんなことをちょっとだけ思って、未来は持ち込んでいた缶ビールに手を伸ばす。そして今頃、まだ病院にいるだろう両親に向けて、
 ――お父さん、お母さん、どうかわたしの分まで、瞬を見守って上げてください……。
 そう強く願いながら、ビールを一気に喉奥へと流し込んだ。すると見事に空きっ腹だった胃が、驚いてアタフタとのたうち回って動くのを感じる。まるで煮えたぎる液体が注ぎ込まれたように、続いて胃の中がカーッと熱くなった。
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