第5章  現実 –  未来の苦悩 

文字数 1,415文字

                  未来の苦悩

 
「ねえ瞬! 解る? 解ってくれる?」
 未来が少しだけ赤くなった顔を突き出し、瞬の目をまっすぐ見据えてそう言った。
「1人でさっさとジェットコースターの列に並んじゃって、そんなところに並ばれたら、こっちがどれだけ苦労すると思ってる? まったく、疲れ果てちゃうわよ!」
 決して、怒ってるという感じではなかった。それでも、2缶目のビールを飲み干した頃から、未来の声は徐々に力強いものになっている。
 そこは、正真正銘未来の部屋だった。あの男のマンション程広い空間ではなかったが、玄関からの廊下左右に幾つかの扉があって、一番奥には12畳程のリビングダイニングがある。正面には大きな窓、更にその先にはベランダがあって、きっと夜になればそこそこの夜景が眺められるだろう。
 未来はそんな景色が望めるソファに腰掛け、真っ先に瞬に向かって言ったのだった。
「ちょっと前まではね、瞬が現れるのって、だいたいがこの部屋だったんだけど……」
 ところが、瞬はその部屋をまるで知らない。
 こうなって思い返せば、彼は未来の部屋さえちゃんと見てはいなかった。
 昔、実家にあった未来の部屋を、なぜか思い描いて見ていたらしい。高校から何度も訪れた懐かしい部屋を、瞬はその頃の未来の姿と重ね合わせて見ていたのだ。
「今朝だって、いきなりマンション前に現れるんだから、本当に驚いちゃったわよ。遊園地にだって、瞬はちゃんと現れたしね。とにかく、わたしがここに引っ越すまでは、確かにそんなこともあったのよ。でもここのところはずっと、現れるのはこの部屋だけだったし、それにいきなり、こんなふうにちゃんと会話ができるようになっちゃって……嬉しいのよ、嬉しいんだけど、これっていったい、瞬に何が起きたってことなの……?」
 そう未来に聞かれても、瞬には何とも答えようがなかった。
 遊園地に行こうよ――そう言い放って彼が消え去った後、未来は勤めが休みの日3日間連続で、昔彼と行ったことのある遊園地に通った。そこは東京オリンピックの頃にできた遊園地で、一時は入場者数の低迷に苦しんでいたが、ここ数年は過去の隆盛を取り戻しつつある。そのせいで、休日ともなれば結構な混雑なのだ。
 そんな中未来は1人で、瞬の出現をジッと待ち続けた。
 そうして3日目、ベンチに座る未来に、待ち望んだ瞬間がいきなり訪れる。
 その時、手にしていた文庫本からふと顔を上げたのだ。するといつの間にか彼が隣に座っていて、突然頭の中に彼の声が響いてくる。 
「ジェットコースターに乗ろうって言うの。瞬だって昔は嫌いだったじゃない? なのによりにもよっていきなりジェットコースターよ。あのレストランだってね。ジェットコースターの時とまるで同じ……1人でどんどん入っていっちゃって、小さな男の子が座ってるっていうのに、瞬はその席に平気な顔して腰下しちゃうんだから……」
 休日のお昼時とあって、レストランは大変な混み具合だった。4人掛けのテーブルは親子連れに埋め尽くされ、丸々空いているテーブルがないのは一目瞭然。なのに瞬はおかまいなしに、混雑している店内をずんずん進んでいった。
 やがて、両親に挟まれて座る子供の後ろに立ったと思ったら、いきなりその子の席に座ってしまう。
 もちろん瞬の場合は、椅子もへったくれもあったものじゃないから、言ってみれば座ったというよりただ重なったという感じか。
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