第5章  現実 –  再会

文字数 1,295文字

                   再会


 大凡、島根県と鳥取県の境辺り、名もない小さな海岸に打ち上げられた菊地瞬は、担ぎ込まれてから一度たりとも目を開けなかった。身体のどこにも外傷はなく、脳の検査結果も異常なし。なのにその後20年間意識なく、ずっと眠り続けたまま目を覚まさない。
 遷延性意識障害とは本来、重度の昏睡状態にある症状を指す。
 そういう意味では、外部からの刺激に反応しない彼の状態も、まさにそうだと言うことができた。
 しかしそんな状態、俗にいう植物状態とは普通、大脳が広い範囲で壊死や損傷することによって発症するものなのだ。しかし瞬には壊死どころか、軽い損傷さえ微塵も見られず、言い換えればまさに眠っているに近しい状態だ。だから明日にも目覚めるかもしれないし、死ぬまでずっとこのままということもある。
 つまり、覚醒しない理由が掴めないのと同様に、瞬に回復の可能性があるのかさえ、神のみぞ知るということだった。
 ただとにかく、彼はその1年間退院を迫られることもなく、出雲市からの医療費支払いによって入院継続できていた。そして身元判明から数日後には、未来の父、慎二の計らいですんなり東京へ運ばれる。
 転院先は慎二の勤める病院で、そこで彼は脳神経外科を専門としていたのだ。
 更に病院の2代目院長が慎二と大学の同級生。そんなことも手伝って、瞬にとって最善の環境が用意された。
 それからほどなくして、未来は休学していた大学に復学。
 卒業と同時に、瞬の入院する病院に事務職として就職してしまう。
 最初そんな希望を聞かされた両親は驚き、思い描いていた彼女の将来について熱っぽく語った。しかし決心が揺らぐことはなく、終いには慎二が病院との橋渡しまですることになっていた。
 そうして社会人となった未来は、毎朝定時よりかなり早めに出勤した。到着すると真っ先に瞬の病室を訪れ、大凡30分様々なことを話し掛ける。終業後も用事がない限り彼の傍に居続けて、幼稚園での出来事から口にしてこなかった不満まで、未来は思い付くことすべてを瞬へと語り掛けたのだ。
「こんなことになる前だって、瞬には変なところが一杯あったんだからね。いきなりぼうっとしちゃって、絶対に何か見てるなっていう感じなのに、尋ねるといつもナンダカンダって誤摩化そうとしちゃって……幼稚園の時のことも、高校生の時に見たっていう〝違うもの〟のことだって、結局瞬はわたしに、なんにも教えてくれてないもんね……」
 そんなことを言ったからって、瞬が聞いているなどと思っているわけじゃなかった。しかしそういう語り掛けが、時によって大きな効果を上げることがある。治療以外にやれることの1つとして、未来は慎二からそう聞いたのだった。
 だから初めの頃は間違いなく、瞬の為だけの行為であった。
 ところが時を重ねていくうちに、未来にとってもかけがえのない時間となっていく。
 しかし1年経ち2年が経っても、瞬は一向に目覚めなかった。命に別状がない程度の身体的な衰えはあったが、それ以外に何の変化も見られない。
 最悪ではない代わりに、ほんの微かな前進さえ微塵もなかった。
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