第4章  見知らぬ世界 – 地下室(3)

文字数 1,477文字

                  地下室(3)


 不自然にならない程度に指紋を拭き取り、念には念を入れて、呼び寄せた使用人たちをなんだかんだ言って動き回らせる。
 そうすれば、もし香織の痕跡が残っていたとしても、不自然さは確実に薄まる筈だ。
 勿論、ズボンの状態から事の成り行きを察した彼は、腹から手を差し入れて、下着とズボンをあるべき状態へと戻していた。そのせいで腕から指先までべったり血液が付着したが、これは止血の為の作業でまったくの帳消しとなる。
 ただ1つ問題だったのは、サバイバルナイフが見つからないことだった。
 収納ケースだけが車椅子に残っていて、部屋中どこを探しても出てこない。
 とにかく香織のことさえなんとかすれば、逃げ道はどこかにきっとある。彼はそう信じて、胸ポケットから携帯を取り出し、着信履歴トップを無造作に選択する。
 ――早く出てくれ……早く……。
 ジリジリするようなそんな思いと共に、呼び出し音が永遠のもののように感じられる。
 先ずは防犯カメラの映像を何とかしなければならない。
 その為にはセキュリティの解除コードを愛菜から聞き出し、基幹PCに入力する必要があった。そんなことは皆、警察がやって来る前、できるなら110番する時には終わらせておきたいのだ。
 そして同じ頃、そんな金田のことなど知りもせず、愛菜は1人高級ホテルにいた。
 本来は、矢島の出社中にと決めていたのだ。
 ところが夕食時のゴタゴタがあって、思わず家を抜け出し来てしまった。
 本当ならもうとっくに、呼び付けた金田もやってきていい頃なのに、姿を見せるどころかメール一つも送って来ない。
 ――まったく! 何グズグズやってるのよ! 
 そんなイライラが最高に募って、テーブルにある携帯電話を手にしようとした途端だった。金田専用の着信音が鳴り響き、驚いて思わずその手から携帯を落としてしまう。
 ――もう! 何よまったく!
 愛菜は更に不機嫌な表情を見せ、床に転がった携帯を拾おうともしなかった。何か生き物のようにぶるぶると震える携帯をじっと見つめて、
「出てなんてあげないわよ!」
 真面目な顔してそんな独り言を口にする。しかしいつまで経っても着信音は鳴り止まない。
 すると次第に考え込むような顔付きになって、愛菜は携帯電話のすぐ傍にしゃがみ込んだ。
 きっと、また何かあったに違いない。
 さっきダイニングにいた矢島は、どう考えても普通じゃなかった。
 だからまた、〝誰かに狙われている〟とか言い出して、金田の手を患わせでもしたのだろう。彼は愛菜に言っていたのだ。
「俺たちの為だろうがなんだろうが、香織が上手くやってくれさえすれば、どっちにしても結果はおんなじだ。それどころか、ご主人があいつと本気になってくれたら、俺たちにとっては最高にやり易くなると思う。香織と結婚したいなんて言い出してきたら、完全にもうこっちのもんだよ。だからあなたは、とにかくご主人にとことん嫌われればいい。そして俺の方は、何をガミガミ怒鳴られようと、ただ黙って仰せの通りに従うだけだ。万一俺の方が調べられでもしたら、そこですべてが、ジ、エンド、になるんだからさ……」
 調査結果の改ざんや、そもそも谷瀬香織の履歴書なんてデタラメもいいところ。
 だからきっと、こんな遅刻も仕方がない。
 愛菜はそこまで思って、やっとその着信に出る気になった。
「許してやるか……」
 誰もいない部屋でそう呟いて、聞き慣れたメロディを奏でる携帯電話を拾い上げる。畳まれているのを片手で器用に開き、愛菜はようやく、それを耳元に持っていった。
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