第7章 真実 - 日御碕灯台 

文字数 1,643文字

 日御碕灯台    

 
 元々康江という女子高生は、特に好みでもない単なる顔見知りに過ぎなかった。当時お抱え庭師だった淳一に紹介され、まあ、可愛い方かな、てなことを思った程度だ。ところが京は偶然、淳一が康江に想いを寄せていることを知ってしまう。
 ある日、京が庭で大振りの刈り込みばさみを振り回していると、突然現れた淳一に危ないと言って怒鳴られた。彼の手は京の腕を掴み上げ、その瞬間思いがけず、淳一の康江への想いが流れ込んできたのだ。ただそんな感情と同時に、京への悪意のようなものまでが入り込んでくる。淳一の顔はすぐ笑顔に戻ったが、京の心には彼のピリピリした感情が暫し残った。どうして? 京は意味も分からず、その時は少なからずショックを受ける。
 高校を中退してからというもの、彼はいつもある意味1人だった。教団事務所に出入りしていたが、豊子の息子に使いっ走りのようなことをさせる訳にはいかない。では他に何かできるかといえば、ただ豊子の跡継ぎとして偉そうにしていることくらいだ。元々、友だちなんてものには縁がなかった。教団でも当然、腹を割って話せる相手などいない。そんな中、唯一の心許せる人間が、小さい頃からずっと庭にいた淳一だったのだ。なのに突然、彼の心奥底にある小さな敵意の存在を知る。更にそんなことから程なくして、ある日康江からのラブレターが届いた。そして……、 
 ――なんだよ、ただの嫉妬じゃねえか……。
 そう思って、フッと湧いた悪戯心に過ぎなかった。しかしそんな軽い思い付きが、彼の人生を大きく変えることになる。
「妊娠したって? 馬鹿だね、そんなもん誰の子か分からないじゃないか! それにね、仮にお前の子だったとしたって、そんなどこの馬の骨だか分からないような小娘なんざ、わたしは絶対に認めないよ」
 生むのはあっちの勝手だが、認知してやるなんざ言語道断……。
「惚れてるなんてこと言わないでおくれよ! まさか駆け落ちなんてことしようものなら、このわたしを敵に回すことになるよ。土地を出て行こうがどうしようが、絶対に見つけ出してやるからね……」
 そんな言葉に嘘がないということを、京は過去の出来事から充分知り得ていたのだ。もしそんな決断をしてしまえば、豊子は必ずや2人を探し出し、少なくとも康江をそのままにしておく筈がない。まさか殺しはしないまでも、廃人に追い込むくらいのことは絶対にする。一方、出雲に残っている康江の両親へは、何をしでかすか想像すらつかなかった。
 当然、京にも結婚なんて意思は微塵もない。最終的に豊子が言い放った、「放っておくのが一番だ」という台詞に安堵感さえ覚えるのだ。どうせ堕ろすしか道はない。ひと月も経てばなかったように元通りになる筈と、京は信じて疑わなかった。
 ところがだ。京でさえそんなことがあったと忘れ去っていたある日、街でバッタリ淳一と出会す。顔を見るなり詰め寄ってくる彼は、京へと信じられない事実を告げてきた。
「彼女をどうするつもりなんです!? もう来月にはあなたの子供が生まれてくるんですよ! まったく、電話しても東京出張だのナンダのって取り次いでくれないし、それでいて折り返し連絡もくれない。あんたら親子は、いったい何を考えているんです!」
 衝撃だった。子供が生まれるという事実より、〝あなたの子〟という言葉の意味に愕然とする。 
 実際、あれから何度も東京へ行ったのは本当だった。教団の東京進出に備えて、豊子と共に何度も土地を探しに行っていた。だからといって、ぜんぜん取り次いでくれない――なんてことがあるなら、それは豊子の意志があったと考えるべきだろう。当然堕ろしてなどいないことも知っていて、放っておくのが一番だ――という己の教えを実践しているに過ぎないのだ。となれば、もう彼にできることは何もなかった。何をしようと、豊子に握り潰されるに決まっている。だから彼は言ったのだ。心奥底で燻っていた記憶と共に、ある意味本音であろうその思いを声にした。
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