第7章 真実 - 2005年へ(3)

文字数 1,379文字

 2005年へ(3)



「そうだよ、あの子はずっと、おまえの記憶のどこかで彷徨っていたんだろうよ。時折わたしんとこに、あんたの香りをプンプン匂わせながら現れてね、訳の分からんことを頭ん中で言ってきてさ、それですぐに消えちまうんだ。あれだってわたしは、あんたが嫌みで寄越してると思ってたのさ。なんだかんだ言っても、血は、繋がっているからね……」
 瞬が目覚めなかったのは、長年に亘る豊子の力のせいだった。京の前に霊体のごとく現れ出ていたのも、彼自身の記憶を彷徨っていたかららしい。思いもしなかった新事実を耳にして、京は暫し口を開けぬ程の衝撃を受ける。
 ――あいつが、俺の記憶の中にどうやって……?
 京自身ではない誰かの手によって、京の記憶へと導かれてきたのか? そんな想像に驚いている一方で、心の片隅には更に別の驚きもあった。過去の所業を次々と話聞かせる豊子が、まるで別人のように思えたのだった。ここまで饒舌でいて、何から何まで打ち明ける豊子を、彼はこれまで見たことがなかった。実の息子にさえ心許さず、必要最低限のことしか伝えない。こうしろ――とは言うが、どうしてなのかは滅多なことでは教えないのだ。そしてすべてにそんなふうだったからこそ、ここまで大きな組織を作り上げることができたというのに、今豊子は、まるで他人が乗り移っているようによく喋った。
 やっぱり何かが起きている。そう感じながら、京は豊子の姿を上から下まで眺めていった。すると微かに、豊子の身体が震えている。両手をぎゅっと握り、何かに絶えているような顔付きだ。さっきまでの余裕の表情が消え失せ、明らかにその顔は普通じゃない。
 どうしたんだ? 京はそう声を掛けようとして、彼女に一歩近付こうとした。その時、エッと思うくらい唐突に、豊子の黒目が消え去ったのだ。眼球がグルッとひっくり返り、血の滲んだ白目が前を向いて現れ出る。そして次の瞬間、固く閉じられていた口がぱっくりと開いて、豊子のけたたましい叫び声が響き渡った。その獣のようながなり声に、京は右足を浮かし掛けたまま暫し固まる。
 豊子の顔が異様に歪み、皺だらけの皮膚がプルプルと震えていた。大口を開けて何事かを叫ぶ度に、突き出した舌先から粘っこい唾液が飛び散り滴り落ちる。京は最初、苦しいのか? そんなことをちょっとだけ思う。ところがまるでそうではなかった。動けずにいる京の前で、豊子が突然ケラケラと笑い声を上げたのだ。
 狂ってる。まさにそんな言葉がピッタリで、この瞬間誰かが豊子の身体に触れたなら、彼女は手加減なしに力を解放させるだろう。
 こんな状態が、ひどい場合には1時間以上にまで及ぶらしい。狂ったように叫んだと思えば笑い出し、そして今豊子は京の前で、何かに怯えるようにただ震えているのだ。これまで吸い上げてきた数え切れぬ記憶たちが、きっと自由気ままに現れ出ている。記憶の司令塔とも言うべき海馬が狂ったのか? もしかすると萎縮し切った脳みそが、そんなものたちを制御しきれないでいるのかもしれない。
 ただとにかく、こんな豊子を1人にしておけなかった。実際、豊子本人がどうなろうと知ったこっちゃないのだ。しかしこの状態が続いてしまえば、どんなことで力の存在が世に知れ渡るか分からない。そうなってしまえば、息子である京へも火の粉が降り注ぐに決まっていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み