王導1  清廉のひと

文字数 703文字

周鎮(しゅうちん)と言う人が臨川(りんせん)郡太守の任期を満了、
ひとたび建康(けんこう)の都に戻ることになった。

船による帰途である。
建康近くの青溪渚(せいけいしょ)にて、
船上泊することになった。

王導(おうどう)さま、周鎮が近くまで
来たという事で訪問する。

おりしも夏の日、
突然の夕立に降り込められる。
慌てて王導さまも、
船に入れさせてもらった。

ところがこの船、えらく小さい。
しかもいたるところから漏水しており、
ろくろく座れる場所もない。

何と言う事だ、太守ともあろうものが、
こうも質素な船で
ここまで旅してきたというのか。

王導さま、感嘆して言う。

魏晋(ぎしん)に清廉で知られた胡威(こい)とて、
 これほどではなかっただろう!」

王導さま、周鎮をすぐさま今度は
呉興(ごこう)郡の太守に任命するのだった。



周鎮罷臨川郡還都,未及上住,泊青溪渚。王丞相往看之。時夏月,暴雨卒至,舫至狹小,而又大漏,殆無復坐處。王曰:「胡威之清,何以過此!」即啟用爲吳興郡。

周鎮は臨川郡を罷り、都に還る。未だ上る及ばざるに、住きて青溪渚に泊る。王丞相は往きて之を看る。時に夏月、暴雨が卒として至る。舫は至りて狹小にして、又た大いに漏る。坐せる處、復た殆ぼ無し。王は曰く「胡威の清も、何をか以て此れに過ぎんか」と。即ち啟し吳興郡に用うるを為す。

(德行27)



周鎮
めっちゃ清廉な人でした、位しか話がない。ちなみに臨川と建康、呉興と建康とだと、距離が五分の一くらいになってる。つまり、めっちゃ栄転である。

胡威
魏~西晋の時代のめっちゃ清廉な人。けどパパの胡質(こしつ)は更にすごかったという。この点を司馬炎(しばえん)に問われての回答は、こうである。「父は清廉なるを知られたがらず、わたくしは清廉なるを他者に気付かれぬのを恐れます。もとより勝ち目などございません」。
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