左思2  三都賦の評判

文字数 583文字

庾闡(ゆせん)が「楊都賦(ようとふ)」を書いた。
出来上がったものを、庾亮(ゆりょう)さまに見せる。
すると庾亮さま、親族のよしみでもって
これを大々的に宣伝した。

「これは二京賦を三京賦に、
 三都賦を四都賦にするレベルの作品だ」

つまり
 班固(はんこ)両都賦(りょうとふ)
 張衡(ちょうこう)両京賦(りょうきょうふ)
 左思(さし)三都賦(さんとふ)
に並ぶ作品だ、と言い切ったのだ。

なので建康(けんこう)の人びとはこぞって
楊州賦を書き写した。
それによって紙の値段が
跳ね上がるほどであったという。

さてそんな楊州賦を、
謝安(しゃあん)さまが読んだ。

そして、こうコメントしている。

「そう言うレベルではなかろう。
 これでは屋下屋を架す、にしかならん。

 折りにつけ先人の名作にあやかるだけで、
 あまりにも浅はか、というしかないな」



庾仲初作揚都賦成,以呈庾亮。亮以親族之懷,大為其名價云:「可三二京,四三都。」於此人人競寫,都下紙為之貴。謝太傅云:「不得爾。此是屋下架屋耳,事事擬學,而不免儉狹。」

庾仲初は揚都賦を作す。成れるを以て庾亮に呈す。亮は親族の懷みを以て大いに其の名を價するを為して云えらく:「二京を三、三都を四とすべし」と。此に於いて人人は競いて寫し、都下の紙は之を貴と為す。謝太傅は云えらく:「爾るを得べからず。此れや是れ屋下に屋を架すのみ、事事につけ學を擬せど、儉狹を免れじ」と。

(文學79)



屋上屋、じゃなくて屋下屋を架す、かー。これ、日本と中国の「屋根」のありようを考えさせてくれそうですね。
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