王羲之3  豈に清言は

文字数 1,017文字

王羲之(おうぎし)謝安(しゃあん)さま、
建康(けんこう)の北にある()城に赴く。
その名の通り鍛冶などを行う城で、
以前は王導(おうどう)さまも
そこの責任者になったりしていた。

謝安さま、展望台から、周辺を見渡す。
悠然とその景色を見遥かすさまは、
いかにも超然としていた。

王羲之、
少し謝安さまをつついてみたくなった。

()()王は手足にマメを作り、
 日々精勤しておられた。
 (しゅう)の文王は職務に追われるあまり、
 食事をとる暇も惜しまれた。

 然るに、今はどうであろうな。

 四方に防備のための砦が築かれており、
 人々は手を取り、
 国防に勤めねばならん。

 だというのに中央の人間は
 虚談を弄し、職務は擲つ。
 虚飾に塗れた文章たちで、
 本来伝えるべき用件を
 曖昧模糊なものとする。

 このようなことが続くのは、
 あまり良くないと思うのだがね」

すると謝安さま、答える。

(しん)商鞅(しょうおう)の献策により、
 富国強兵を為しました。
 その国力増強を受けて、
 始皇帝(しこうてい)は天下を取りました。

 けれども、それも
 二代しか続かぬありさま。

 実務一辺倒であっても、
 結局はこうなのです。
 清談だけをやり玉に挙げてみても、
 仕方のない事だとも思うのですがね」



王右軍與謝太傅共登冶城。謝悠然遠想,有高世之志。王謂謝曰:「夏禹勤王,手足胼胝;文王旰食,日不暇給。今四郊多壘,宜人人自效。而虛談廢務,浮文妨要,恐非當今所宜。」謝荅曰:「秦任商鞅,二世而亡,豈清言致患邪?」

王右軍と謝太傅は共に冶城に登る。謝は悠然として遠想し、高世の志を有す。王は謝に謂いて曰く「夏禹は勤王し、手足は胼胝す。文王は旰食し、日に給せるべき暇あらず。今、四郊は壘多くして、宜しく人人は自ら效すべし。而るに虛談は務むるを廢し、浮文は要を妨ぐ。恐らくは、當今は宜しかる所に非じ」と。謝は荅えて曰く「秦は商鞅に任じ、二世にして亡ぶ。豈に清言は患を致さんや?」と。

(言語70)



王羲之が清談を「虚言」と切り捨ててるところが素敵ですね。

商鞅
秦の孝公(こうこう)(始皇帝の6代前)に仕えて富国強兵策を提唱、これによって秦は強国の一員に加わった。商鞅自身は次代の王、恵文王(けいぶんおう)の代に殺されるわけだが、結局のところ始皇帝の天下統一は、商鞅の改革から始まった秦の大国化の余禄ですよ、という説もある。にしたって端折りすぎでしょ謝安さま……これ普通に読んだら商鞅のいた時代の次の時代に滅んでんじゃないですか。李斯(りし)じゃダメだったんすかねえ。まぁ、李斯だとちょっといろいろダイレクトすぎのきらいもありますわな。

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