王敦16 憎しみの連鎖2

文字数 1,180文字

應詹(おうせん)荊州刺史(けいしゅうしし)に任じられたという事で、
かれの門出を祝う宴が新亭(しんてい)で開催された。

そこに王廙(おうよく)の息子の王耆之(おうきし)と、
司馬承(しばしょう)の息子の司馬無忌(しばむき)が、
同時に到着、送別をなした。

この時宴席には多くの人がおり、
二人が来ていたことを
知らないものもいた。

そんな客の一人が、迂闊にも言う。

「司馬承さまが災いに逢われたのは、
 王敦(おうとん)どのの意思ではない。
 あれは、王廙どのの独断だ」

は? うちの親父王廙に殺されたの!?

そんな事実を初めて知った司馬無忌、
近くにいた士官の刀を奪い取り、
王耆之に斬りかかろうとする!

王耆之、慌てて川に飛び込んで逃れる。
そこを近くの船頭に引き上げられ、
なんとか難を回避した。


なお王耆之だが、謝万(しゃまん)から
「かれのあの屈託のなさは、
 きっと家門にあるがゆえなのだろうな」
と言われている。

ん、褒めてるんですかそれ……?



應鎮南作荊州,王脩載、譙王子無忌同至新亭與別,坐上賓甚多,不悟二人俱到。有一客道:「譙王丞致禍,非大將軍意,正是平南所為耳。」無忌因奪直兵參軍刀,便欲斫。脩載走投水,舸上人接取,得免。
應鎮南の荊州を作さるに、王脩載、譙王の子の無忌は同じうして新亭に至りて與に別る。坐上の賓は甚だ多く、二人の俱に到れるを悟らず。有る一なる客は道えらく:「譙王の丞の禍を致せるは大將軍が意に非ず。正に是れ平南の為せる所なるのみ」と。無忌は因りて直兵參軍の刀を奪い、便ち斫らんと欲す。脩載は走りて水に投じ、舸上の人の接取されば、免がるを得る。
(仇隟4)

謝中郎云:「王修載樂託之性,出自門風。」
謝中郎は云えらく:「王修載が樂託の性、門風より出づらんか」と。
(賞譽122)



前条と比較すると、いろいろ謎が残る条。ちなみに王耆之は王胡之(おうこし)の弟。つまり自分の父親が司馬無忌の父親を殺していることは知っていたはずであり、なんで一緒でいたんだろう、という疑問が残る。それに前条と今条が、共に「初めて司馬無忌が仇の正体を知る」話となっており、なぜこんな露骨なバッティングが世説新語に残されているのだろう、という疑問も生じる。劉孝標(りゅうこうひょう)注、箋疏(せんそ)ともに「どちらが正しいのか」の分析を加えようとしているが、いやいやこれ明らかになんでバッティングした話を収録したのかを分析すべき内容でしょうよ、という。

で、なんでなのかと言うと、さっぱりわからない。司馬無忌ってその子孫に司馬休之(しばきゅうし)がいて、その司馬休之が劉裕(りゅうゆう)によって討伐されているところあたりから何かを引っ張れるのかなー。後日の課題にしておくべき感じである。

ここで登場する應詹がなったのは荊州刺史じゃなくて江州刺史(こうしゅうしし)だとか、だいたい應詹が刺史に就任したのって司馬承が三歳の頃だぜとかのツッコミが注では入っている。あと、実際にこの事件が発生したのは褚裒(ちょぼう)が江州刺史に就任した時の話なんだそーである。ここまであからさまだと、なかなかただのうっかりミスとも考えづらいんだよなあ。
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