賀劭2  死人蹴り

文字数 847文字

東晋(とうしん)の初代皇帝、元帝(げんてい)
洛陽(らくよう)にやってきた賀循(がじゅん)に出会った。
二人の話題が、呉の時代のことになる。

「そーいや孫皓(そんこう)、焼けたのこぎりで
 賀氏の誰かの首を斬ってたよな。
 あれ誰だっけ」

いや何きいとんねんアンタ。
何せ被害者の賀劭(がしょう)は賀循の父親。
当然さらっと答えられるはずもない。

しかも傷口に塩。
元帝、勝手に思い出す。

「あ、賀劭か」

あ、じゃねえよ。
そりゃ賀循も泣く。
やべ、と元帝が思ったときには、
もう遅い。

「私の父が遭った無道です。
 今でも我が心は深く傷ついております。
 なので、申し訳ございません。
 陛下の問いに、
 答えることが叶いませんでした」

元帝、ちょう後悔する。
三日くらい部屋に引き籠った。



元皇初見賀司空、言及吳時事、問:「孫皓燒鋸截一賀頭、是誰?」司空未得言、元皇自憶曰:「是賀劭。」司空流涕曰:「臣父遭遇無道、創巨痛深、無以仰答明詔。」元皇愧慙、三日不出。
元皇は初めて賀司空に見ゆるに、吳が時事に言及せば、問うらく:「孫皓は燒ける鋸にて一なる賀の頭を截てり、是は誰ぞ?」と。司空は未だ言い得ず、元皇は自ら憶えて曰く:「是れ賀劭か」と。司空は流涕して曰く:「臣が父の遭遇せる無道、創は巨きく痛みは深し、以て仰ぎて明詔に答うる無し」と。元皇は愧慙し、三日出でず。
(紕漏2)



晋元帝 司馬睿(しばえい)
司馬師(しばし)司馬昭(しばしょう)の弟の子孫なので、西晋皇統直系ではない。八王の乱終息後、建業(けんぎょう)に出向。この行動がラッキーだった。やがて起こった永嘉の乱でも、匈奴らは中原での西晋いじめに忙しく、江南まで手を伸ばしている暇がなかった。その隙に王導(おうどう)主導で江南の人士慰撫に成功、勢力基盤を築く。そして西晋(せいしん)が最後の抵抗を示そうと長安で立てた愍帝(びんてい)司馬鄴(しばぎょう)死亡の報を受け、即皇位継承を宣言。しかしこの流れのおかげで王導をはじめとした琅邪(ろうや)王氏の名前が一気に大きくなり、歴史書から皇帝の名前の存在感は薄くなっていく。
しかしこの話が事実だったら司馬睿、うっかりさんにも程がございますね。

賀循
東晋の祭礼の基礎を作ったりした人。元帝にずいぶんなことされてるのにねえ。
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