司馬懿3 西晋の覇権

文字数 1,446文字

時代が下り、東晋(とうしん)のはじめのころ。
東晋の二代目皇帝、明帝(めいてい)に、
宰相の王導(おうどう)と大臣の温嶠(おんきょう)が謁見した。

「温嶠、なぜ西晋(せいしん)は天下を取れたのか?」

明帝からの質問に、温嶠は答えない。
そこに王導がしゃしゃる。

「彼は年若く、
 歴史に通じておりません。
 そこで彼に替わり、
 不肖王導めがお話し致しましょう」

そして王導は滔々と語る。
司馬懿(しばい)がライバルを蹴落とし、
仲間を次々に引き立てたこと。
それから司馬昭(しばしょう)が、
皇帝の曹髦(そうぼう)を排除したこと。

「こうして権力を安定させたことが、
 天下の安寧に繋がったのです!」

ドヤる王導。
しかし明帝は泣いた。
顔を覆い、床にぶっ倒れる勢いで泣いた。

「王導の言う事が正しければ、
 東晋の命数は長からぬではないか!
 そもそも王導、この国でいま、
 司馬懿レベルの権勢を握っているのが
 誰なのか、卿は理解しておるのか!」



王導、溫嶠俱見明帝,帝問溫前世所以得天下之由。溫未答。頃,王曰:「溫嶠年少未諳,臣為陛下陳之。」王迺具敘宣王創業之始,誅夷名族,寵樹同己,及文王之末,高貴鄉公事。明帝聞之,覆面著床曰:「若如公言,祚安得長!」

王導、溫嶠の俱に明帝に見えるに、帝は溫に前の世にて以て天下を得たる所の由を問う。溫は答えず。頃にして、王は曰く:「溫嶠は年少く諳ざれば、臣が之を陛下に陳するを為さん」と。王は迺ち具さに宣王の創業の始め、名族を誅夷し、己と同じうせるの寵を樹つること、及び文王の末、高貴鄉公の事をも叙す。明帝は之を聞き、面を覆いて床に著して曰く:「若し公の言の如るれば、祚は安んぞ長きを得んや!」と。

(尤悔7)



王導
南朝貴族の元祖。先祖を辿ると戦国秦の大将軍王翦(おうせん)がいる。西晋を大いに揺さぶった皇族たちの同士討ち、こと八王の乱収束ごろに元帝(げんてい)司馬睿(しばえい)をそそのかして江南(こうなん)の地にやって来ると、権謀術数を操り旧呉土着の豪族層を骨抜きし、東晋帝国の基盤を築いた。この王導以降、王導の家門である琅邪(ろうや)王氏はずっと南朝貴族社会のトップであり続ける。

温嶠
西晋末期の名将、劉琨(りゅうこん)に従い、五胡勢力と戦った。劉琨は敗色濃厚を悟ると温嶠を使者として司馬睿の元へ派遣。劉琨の敗死や西晋の滅亡を受け、溫嶠はそのまま司馬睿に仕えることとなった。そして司馬睿を帝位に推戴。しかし東晋は琅耶王氏の権勢が非常に強く、王敦(おうとん)の乱に代表されるように、司馬氏と王氏の対立が生じていた。ここで温嶠は折衝役として振る舞っている。その後の蘇峻(そしゅん)の乱でも陶侃(とうかん)と結び平定の道筋を作るなど、東晋百年の礎を築いたと言える。つまりこの辺り、温嶠が黙って王導が自慢げなところにもひとつの含蓄がある。訳文ではその辺を敢えて赤裸々に書きました。

明帝 司馬紹(しばしょう)
東晋の二代目皇帝。権勢を広げる琅邪王氏のうち武力を握った王敦の叛乱を食い止めた。早世した名君と言う扱いにはなっているが、エピソードを読んでいる感じだとこの人が長生きしてたら割とヤバい方向に突っ走って行ったような気もする。司馬昭と字がそっくりなのが厄介極まりないですが頑張って見分けてください。

司馬昭
司馬懿(しばい)の息子、司馬師(しばし)の弟。毌丘倹(かんきゅうけん)の叛乱以後、魏内の司馬氏アンチが一気に賑やかになってきたので、アンチ潰しに奔走する。そして 260 年には一通りのアンチを潰し終えた成果として、魏のラストエンペラー曹奐(そうかん)(元帝)を即位させた。またこの人の時代に(しょく)を滅ぼす。実質上、晋帝国の基盤を築いた人である。

曹髦(そうぼう)
衰運著しい魏の王朝にあって、何とか盛り返そうと頑張った人。けど結局司馬師(しばし)に殺された。この人の死に関するエピソードもあとできます。
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