王弼   無を訊ねる

文字数 919文字

正始名士、最後の一人、王弼(おうひつ)
王弼は二十歳になったばかりの頃、
裴徽(はいき)のもとを訪問したことがあった。

そこで裴徽は王弼に問う。

「無は万物の淵源、と言われている。
 だが聖人は無について語らなかった。
 けれども老子(ろうし)は、
 無を飽くことなく語り続けた。

 これはいったい、
 どういうことなのだろうな」

王弼は答える。

「聖人は無を体現しています。
 しかし無は本来、言葉にならないもの。
 故に、聖人は語りません。

 あえてそれを語るのであれば、
 どうしても無の周囲にある
 有を語らねばなりません。

 老子にしても、荘子(そうじ)にしても、
 それは同じこと。
 だから彼らは、自分の言葉が
 決して無には届かない、と
 語り続けるしかないのです」



王輔嗣弱冠詣裴徽,徽問曰:「夫無者,誠萬物之所資,聖人莫肯致言,而老子申之無已,何邪?」弼曰:「聖人體無,無又不可以訓,故言必及有;老、莊未免於有,恆訓其所不足。」

王輔嗣の弱冠にして裴徽を詣でるに、徽は問うて曰く:「夫れ無は誠に萬物に資したる所、聖人に言を致すに肯んぜる莫く、老子の申べて已める無きは、何ぞや?」と。弼は曰く:「聖人は無を體し、無は又た以て訓ずべからず。故に言は必ず有に及びたり。老、莊は未だ有にて免ぜず、恆に其の足らざる所を訓ず」と。
(文學8)



王弼
何晏(かあん)フレンズの一人という事で、のちに司馬懿(しばい)曹爽(そうそう)らを処断した時にかれも免職させられている。間もなく病にかかって死亡。ただ本人はあんまり政局に関心はなく、ただ老荘のことだを味わいたかっただけのようにも思われる。そう言うところから考えると、「聖人體無」以降のところには(早口)という注がきっとついているはずである。

裴徽
傅嘏(ふか)荀粲(じゅんさん)と並んで玄学を良くした。言ってみれば清談の先人的存在。




道徳経 道経11
 三十輻 共一轂 當其無 有車之用 
 埏埴以為器 當其無 有器之用
 鑿戶牖以為室 當其無 有室之用
 故有之以為利 無之以為用

空白や余白は、何もないがために「そこにあるもの」の働きの源となる。車輪のシャフトを徹す穴であるとか、皿や鉢のくぼみ、部屋という空間。すべて空白ありきの存在だ。これが無を以て有為をなす、の、最も卑近な例である。(蜂屋邦夫釈)

この辺の話に接続してくる印象。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み