王戎5 竹林にして中原
文字数 1,958文字
カテゴライズされているが、
その交流を見てみると、
竹林七賢と
中間的存在だったようである。
その交流が伺える話を見てみよう。
名士たちが
彼らが帰ってきたとき、
「本日の宴はいかがだったのです?」
王衍は答えた。
「それはもう。
尽きせず湧き出でる
雅の極致と言ってよい。
史記や漢書について。
実にたおやかな口ぶりは、
聞き惚れるに値するものであった。
私は春秋時代の名士、
我々の言も、また超然としたものに
なっていたであろうよ」
また別の日に、王衍は
「かのお方のお言葉の
すきっと筋立たれたところ、
人の上に立つ方のお言葉にして、
非凡である、としか言いようがない。
もしあのお方が蘇られたならば、
どこまでもついて行って
そのお言葉を伺いたいよ」
あるいは、これは
王戎のコメントらしい、とも。
まぁおそらく、王戎さんも
心酔してそうですしね。
王戎と裴楷と言えば、
ワンセットで扱われていた。
実際「両壁ですごい」という認識は、
多くの人に共通したものだったようだ。
「王戎の論は簡潔にして端的、
裴楷の論は実にスマートだ」
では、そんな裴楷さんにとって、
王戎とはどんな人物に
見えていたのだろう。
こう語っている。
「あの激しい目つきと来たら!
どう表現したものかな、
岩山に雷が落ちた、
というべきだろうか」
やはり、凄まじい人物である、
という認識だったようだ。
一方で王戎自身も、他者を語っている。
例えば、王衍については。
「その立ち振る舞いは、気高いの一言。
まるで宝玉の林にいるかのようだ。
世俗の煩いなど、
はるかに超越しているよ」
また、
阮籍の非凡さを見出したことで
知られていた、
「かれの清廉さ、そしてその的確な
人を見る目は、漢代が興って以来、
誰も持ち合わせなかったものだ」
諸名士共至洛水戲。還,樂令問王夷甫曰:「今日戲樂乎?」王曰:「裴僕射善談名理,混混有雅致;張茂先論史漢,靡靡可聽;我與王安豐說延陵、子房,亦超超玄箸。」
諸名士は共に洛水に至り戲る。還ぜるに、樂令は王夷甫に問うて曰く:「今日が戲は樂しかりきや?」と。王は曰く:「裴僕射は談を善くし名理は混混と雅致を有す。張茂先は漢史を論じ、靡靡として聽すに可たり。我と王安豐は延陵、子房を說き、亦た超超として玄なるに箸きたり」と。
(言語23)
武元夏目裴、王曰:「戎尚約,楷清通。」
武元夏は裴、王を目して曰く:「戎は尚約にして、楷は清通なり」と。
(賞譽14)
王太尉曰:「見裴令公精明朗然,籠蓋人上,非凡識也。若死而可作,當與之同歸。」或云王戎語。
王太尉は曰く:「裴令公を見るに精明朗然にして、籠蓋なること人が上にして、凡識にては非ざるなり。若し死して作すべくんば、當に之と與に歸りたるを同じくせん」と。或いは王戎が語とも云う。
(賞譽24)
裴令公目:「王安豐眼爛爛如巖下電。」
裴令公目:「王安豐が眼は爛爛とし巖に電の下りたるが如し」と。
(容止6)
王戎云:「太尉神姿高徹,如瑤林瓊樹,自然是風塵外物。」
王戎云:「太尉が神姿は高徹にして、瑤林瓊樹が如し、自ら是れ風塵が外の物に然りたらん」と。
(賞譽16)
王戎目阮文業:「清倫有鑒識,漢元以來,未有此人。」
王戎は阮文業を目すらく:「清倫なるに鑒識を有し、漢元以來、未だ此の人は有らず」と。
(賞譽13)
人物多いな。
楽広、王衍、裴楷
中原名士。すぐ後で紹介します。
裴頠
裴楷よりも一世代下。張華さんと一緒に
張華
元々張華さんのところで没にしたお話だったのよね一個目のエピソード。というのも張華さんメインとして見るとすごくどうでもいい話だったから。ここで紹介できたのは、結果オーライな感じがする。
季札
臥薪嘗胆で有名な呉王
張良
ご存じ
武陔
司馬昭とよく人物談義を交した、とのことである。そうなるとやっぱり鍾会にも絡んでくる。
阮武
政治家と言うよりは学者肌の人。幼くしてキチっぽいふるまいが多かった阮籍をすげえ奴だ、と言い切ったらしい。