向秀2  荘子を釈す

文字数 2,631文字

向秀(しょうしゅう)のお仕事として有名なのは、
荘子(そうじ)についての解釈だったようである。


荘子と言えば、当時にも
すでに多くの人間が注を付けていたが、
その奥義をとらえた、
と言えるようなものはいなかった。

その中で向秀がつけた注は、
旧注からさらに踏み込んだ解釈をなし、
その解釈は新奇にして妙、
これこそが荘子の意を汲んだものだ、
と、もてはやされた。

しかし向秀、「秋水(しゅうすい)」「至樂(しがく)」については
注を残すことなく、死んだ。

この時息子たちは未だ幼く、
父親からの薫陶も満足に得られなかった。
よって、父の業績を継承しきれなかった。

完成しなかったことにより、
一部からの評価こそ高かったものの、
その注は、やがて人々から
見向きもされなくなってしまった。

もちろん、向秀の著述そのものは
残っていたのだが。

ここで登場するのが、郭象(かくしょう)という人だ。

ケーハクな人ではあるのだが、
才能はバリバリだった。
だから向秀の注釈にも、
アンテナをビンビンに張っていた。

そして向注の存在が、みんなの記憶から
抜け落ちたのをいいことに、
「こいつはワイの注やデ!」
と、剽窃。

ただ、向秀が注を施せなかった
秋水、至樂の二篇の注は自力で行った。

それと「易馬蹄(いばてい)」についても
自分の注を加えたが、
後の部分には標点を加える程度。

こうして郭注が世に出回ったのだが、
内容はほぼ向注と一緒だった、という。


この辺の話の真偽はさておき、
向注、郭注が素晴らしいもの、
とは、世に知れ渡っていたようである。


東晋(とうしん)中期の論者にして僧侶、支遁(しとん)
かれの名もまた
荘子解釈界では知れ渡っている。

荘子の冒頭「逍遙(しょうよう)」。
オープニングからいきなり
その難解さでぶん殴ってくるこの章は、
先人たちも様々な解釈を寄せていたが、
なかなか向秀、郭象の注釈を
上回ることができないでいた。

そんな中、支遁は白馬寺(はくばじ)にて、
馮懐(ふうかい)と荘子について語らい、
その話題が、例の逍遥編に及んだ。

すると支遁、さらっと新解釈を、
向注、郭注の上に書き、示した。

「どうです、これで比較してみては
 下さいませんか?」

そうして示された解釈は、
これまでの人びとが辿り着こうとしても
辿り着けなかった境地にまで達していた。

そうして、以降は支遁釈が
逍遥理解のスタンダードとなるのだった。



初,注莊子者數十家,莫能究其旨要。向秀於舊注外為解義,妙析奇致,大暢玄風。唯秋水、至樂二篇未竟而秀卒。秀子幼,義遂零落,然猶有別本。郭象者,為人薄行,有俊才。見秀義不傳於世,遂竊以為己注。乃自注秋水、至樂二篇,又易馬蹄一篇,其餘眾篇,或定點文句而已。後秀義別本出,故今有向、郭二莊,其義一也。
初、莊子を注せる者は數十家たれど、能く其の旨要を究める莫し。向秀は舊き注より義の解せるの外を為し、析せるは妙にして致せるは奇なれば、大いに暢玄を風ず。唯だ秋水、至樂の二篇を未だ竟えずして秀は卒す。秀が子は幼し。義は遂に零落せど、然して猶お別本を有す。郭象なる者、人の為りは薄行なれど、俊才を有す。秀が義の世に傳わらざるを見、遂に竊かに以て己が注と為す。乃ち自ら秋水、至樂の二篇を注し、又た易馬蹄の一篇、其の餘の眾きの篇に、或いは文句に點を定めたるのみ。後に秀が義は別本にて出でたれど、故より今にて有したる向、郭が二莊にては、其の義を一としたるなり。
(文學17)

莊子逍遙篇,舊是難處,諸名賢所可鑽味,也而不能拔理於郭、向之外。支道林在白馬寺中,將馮太常共語,因及逍遙。支卓然標新理於二家之表,立異義於眾賢之外,皆是諸名賢尋味之所不得。後遂用支理。
莊子の逍遙篇は、舊きより是れ難處として、諸名賢の鑽味さるべき所なれど、郭、向の外にて理を拔せる能わず。支道林は白馬寺が中に在りて、將に馮太常と共に語らんとし、因りて逍遙に及ぶ。支は卓然として新たなる理を二家の表に標し、異義を眾賢の外に立つれば、皆な是れ諸名賢は尋いで之を味したるを得ざる所なり。後には遂に支が理は用いらる。
(文學32)



向秀
ダンサーとしてもなかなかゴキゲン、そして老荘の解釈については抜群、でも本人のキャラは非常に地味だし現実的。これは目立ちませんわ……嵆康には「老子研究なんかバカのやることじゃんwwwww」みたいに笑われていたのだが、いざ完成させてみれば嵆康もその出来の精密さにぎゃふんと言った、なるエピソードも残されている。竹林七賢地味組の中では、みんながわいわいしてる中でにこにこしている向秀、なんだかぐびぐび酒飲んでは突然思わせぶりなことをぼそりと呟く劉伶(りゅうれい)、という感じだろうか。そうだな、エアロスミスで言うところのジョーイクレイマーとブラッドウィットフォードかな!

郭象
現在注として残っているのは郭象さんのものだけだという事で、実際に両者の注は比較できない。とりあえず元々は謙虚だったが偉くなるにしたがって傲慢になってったそうで、そう言ったところからキャラクター付けされてったのかな、という印象はある。

馮懐
全然経歴が載ってない謎のひと。ただ、この人の息子馮循(ふうじゅん)琅邪(ろうや)王氏である王彬(おうひん)の娘、王隆愛(おうりゅうあい)を娶った、そうである。そう言う墓誌が残っていて(※)、書道においては臨書テーマともなっているそうだ。墓誌があると家族構成がめっちゃメリメリ分かって素敵だよなぁ……。
※残っている墓誌は王彬の妻「夏金虎(かきんこ)」という人のもの。
http://www.360doc.com/content/14/0808/11/2362364_400301464.shtml
しかし夏氏なんて姓、初めて聞いたぞ。


逍遥
(おおとり)(全長数千キロにも及ぶ伝説の鳥)とウズラとの対比にて語られている。

向・郭二家釈
鴻にせよ、ウズラにせよ、自分の領分の中で生きている。与えられたものを全うすることが道に即した振る舞いだ、と言えるだろう。

支遁釈
……とは言ってもさぁ、より高い境地に立って、あらゆるものが見渡せなきゃ真に満たされるなんてことなくない? より広い視座を得る、そうなってこそ道との合一が果たせるんじゃないのかなぁ?


自分が読んだ感じだと、向・郭二家釈のほうが近いかなーという印象です。支遁釈はちょっと踏み込みすぎというか、「下手にいろいろ突っ込んで考えようとすれば考えなきゃいかんことは無限に増える、ならはじめから考えない方がいい」が荘子の語っているところでもあるので、ならはじめから「より高み」とか気にすんな、となりそう。とは言えさらに話はツッコめて「己の領分がどうこう」とかも忘れろよ、とも言ってる気がするんですよね。どうしたもんでしょうね。まあどうでもいいですね。
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