郗超2  嘉賓と釈道安

文字数 750文字

郗超(ちちょう)は僧侶の釈道安(しゃくどうあん)
めっちゃリスペクトしていた。

なので多量の米とともに、
何枚にも及ぶラブレターをしたためた。

すると釈道安はただちにこう答えた。

「こうして米を損なわねば
 身を保つことすらままならぬのが、
 煩わしくてなりません」



郗嘉賓欽崇釋道安德問,餉米千斛,修書累紙,意寄殷勤。道安答直云:「損米,愈覺有待之為煩。」

郗嘉賓は釋道安の德問を欽崇し、米千斛を餉り、書を修せるに紙を累ね、意を寄すこと殷勤たり。道安は直ちに答えて云えらく:「米を損ぜられ、愈いよ有待の煩を為したるを覺ゆ」と。

(雅量32)



郗超
郗鍳(ちかん)の孫。桓温(かんおん)の参謀としての働きを見せた。京口(けいこう)に赴任するもいちいち腰の重い父の郗愔(ちいん)に業を煮やし、その名を偽って実質的な前線引退しますよ宣言をさせた。これによって桓温は北西両府の軍権を掌握するに到る。桓温にとっての比類なき功労者であり、また晋書観点では「元凶」とも呼ぶべき存在ともなる。桓温の簒奪謀議の立ち上げにも絡んでおり、また「枋頭(ほうとう)」前夜には諫止の奏上をなし、後日桓温に「あの時超の言を容れておれば」とも言わしめた。桓温の諸葛亮(しょかつりょう)とでもいうべき存在である。

釈道安
中国における仏教信仰の原型を確立した、ぐらいにまで書かれてる凄い人。襄陽(じょうよう)にいたため、のちに苻堅(ふけん)が襄陽を攻め落とした時に文人の習鑿歯(しゅうさくし)とともに拉致られている。そこで苻堅が「晋は陸機(りくき)陸雲(りくうん)の二人を手に入れたが、わしは一人半を手に入れたな!」と大喜びしたという。ちなみに習鑿歯の足が悪かったため半分扱い。どうなのそれ……。

習鑿歯はのちに晋に帰ったが、釈道安は苻堅のもとに残り、「いや晋に攻めるのマジアウトですからやめた方がいいですよ」と諫言し、無事突っぱねられている。結果淝水(ひすい)でン万の死者を出すわけだから、そりゃ釈道安も止めるわな、と言う感じである。
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