潁川名士2 陳荀の交わり

文字数 797文字

潁川(えいせん)名士は、家単位での交わりがある。
前話で紹介した荀氏(じゅんし)と、(ちんし)氏。
以下に両家の交わりを紹介する。


陳羣(ちんぐん)の祖父、陳寔(ちんしょく)
荀彧(じゅんいく)の祖父、荀淑(じゅんしゅく)のもとを訪れる。

貧しかったため小間使いを
率いることができなかったので、
陳寔、長男の陳紀(ちんき)を御者とし、
次男の陳諶(ちんしん)に後ろで杖をつかせる。
幼い陳羣(ちんぐん)については、車に乗せた。

それを迎える荀淑。
陳寔に合わせ、三男の荀靖(じゅんせい)
門まで出迎えに出させ、
六男の荀爽(じゅんそう)に酌をさせ、
残り六人の子たちには
給仕をさせた。

そして荀淑の孫、荀彧(じゅんいく)
やはり幼かったかれは、
荀淑の膝元に。

陳氏、荀氏のどの人物をとっても、
当代を背負う名士たちである。
そこで当時の歴史記述者は、
このように皇帝に伝えている。

「真人たちが潁川にこぞっております」



陳太丘詣荀朗陵,貧儉無僕役。乃使元方將車,季方持杖後從。長文尚小,載箸車中。既至,荀使叔慈應門,慈明行酒,餘六龍下食。文若亦小,坐箸膝前。于時太史奏:「真人東行。」

陳太丘の荀朗陵を詣でるに、貧儉にして僕役無し。乃ち元方をして車を將かしめ、季方は杖を持ちて後に從う。長文は尚お小さく、車中に載箸す。既に至らば、荀は叔慈をして門に應ぜしめ、慈明には酒を行わしめ、餘の六龍には食を下さしむ。文若は亦た小さく、膝前に坐箸す。時の太史は奏ずるらく:「真人、東に行かん」と。

(徳行6)



いわゆる五荀五陳のうちの多くがこうして一所に集まる、またその時の振る舞いが片方の事情をよく汲み、スタイルを同じ形にして交わる、と言う、当時の人々にとってはオールスターズ状態の交わりのようでした。なお彼らをぜんぜん知らない現代人はぽかーんとしてしまいます。

それにしても荀彧陳羣の付き合いってめっちゃ長いんですなー。こう言うド名士が、早い段階で曹操(そうそう)の下についてるってことは見逃しちゃいけないことのような気がします。まぁ、この辺全然後漢書三国志でさらえてない人間があーのこーの言ってもしょうがなさそうだけど。
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