衛玠1  病身の貴公子

文字数 725文字

中原名士 衛玠(えいかい) 全5編
 既出:王導33、王敦2


永嘉(えいか)の乱に際し、多くの貴族らが
建康(けんこう)に逃れようとした。
衛玠もまた、疎開を志したひとりである。

だが、その逃亡生活でげっそりと
やつれ上がった彼の前には、
ぼうぼうと流れる、長江(ちょうこう)

衛玠、近似のものに言う。

「何という膨大なる流れだ!
 これを渡ってしまえば、
 もはや後戻りはきくまい。

 この身には、今もなお
 郷愁が強くある。
 渡りたくはない、
 渡りたくはないのだが!」


そんな衛玠、最終的には長江を渡り、
豫章(よしょう)に到着、
さらにそこから建康に出ようとしていた。

すると、伝説のイケメンが来た!
と、見物人が連なり、
垣根を作りかねない勢いとなった。

もともと病弱であった衛玠、
この見世物状態に耐えきれず、死亡。

人々は言ったそうである。

「見物人共が、衛玠を殺した」

と。



衛洗馬初欲渡江,形神慘悴,語左右云:「見此芒芒,不覺百端交集。苟未免有情,亦復誰能遣此!」
衛洗馬は初に江を渡らんと欲すも、形神は慘悴し、左右に語りて云えらく:「此の芒芒なるを見るに、百端の交集せるを覺ゆ。苟しくも未だ情有すを免ぜらば、亦た復た誰が能く此を遣らんか!」と。
(言語32)

衛玠從豫章至下都,人久聞其名,觀者如堵牆。玠先有羸疾,體不堪勞,遂成病而死。時人謂「看殺衛玠」。
衛玠は豫章より下都に至らんとし、人は久しく其の名を聞かば、觀たる者は堵牆が如し。玠は先に羸疾有り、體は勞に堪えず、,遂には病成りて死す。時の人は謂えらく「看たるもの衛玠を殺す」と。
(容止19)



衛玠
グーグルで検索かけるとまっさきに「四大イケメンの一人」と名前が出てくる。病弱イケメンはご褒美ですね、わかります。あの王導(おうどう)さまも基本的には「病弱イケメン! はかない! すき!」としか言ってない。
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