賀劭1  黄門さま対名族

文字数 990文字

会稽(かいけい)郡出身の賀邵(がしょう)さんが
()郡の太守に任命された。

当時の呉郡は、ある意味で文化の中心。
対する会稽は、春秋(しゅんじゅう)の昔に言う、(えつ)
まぁ「田舎もん」として見られるよね。
当時の感覚で言えば。

そしてこの呉郡。
地元に根付いた名族の力が強い。
なので賀邵さん、当然舐められる。

ここに対抗するため、
しばらく賀邵は太守府に引き籠った。
名族どもの出方を伺ったのだ。

そんな賀邵の動きを侮った名族の誰かが、
やがて軽挙に出た。太守府の門に

「会稽の鶏はろくすっぽ鳴けねーんだなw」

と落書きをキメたのだ。

これを見て、にやりと賀邵さん、動く。
わざわざご自身の筆でリプった。

「鳴いていいんだな? お前ら死ぬぞ?」

動き出してみれば、それはもう。
地元の名族たち、
特に()氏、(りく)氏の横暴をあばくあばく。
また門吏の狼藉、逃亡者の秘匿などを
検挙に次ぐ検挙。
えっらい勢いで逮捕者が出た。

この時名族陸氏の統領、陸抗(りくこう)は江陵、
東京から見た大阪に赴任していたのだが、
これを聞き、慌てて長江を船で下った。
わざわざ建業に出頭、孫皓(そんこう)様に泣きついて、
一門の罪をとりなしてもらうのだった。



賀太傅作吳郡、初不出門。吳中諸強族輕之、乃題府門云:「會稽雞、不啼。」賀聞故出行、至門反顧、索筆足之曰:「不可啼、殺吳兒!」於是至諸屯邸、檢校諸顧、陸役使官兵及藏逋亡、悉以事言上、罪者甚眾。陸抗時為江陵都督、故下請孫皓、然後得釋。

賀太傅の吳郡に作さるに、初め門より出でず。吳中の諸強族は之を輕んじ、乃ち府門に題して云えらく:「會稽の雞、啼かず」と。賀は聞けるが故に行きて出で、門に至りては反りて顧み、筆を索めて之に足して曰く:「啼くべからず、吳兒を殺さん!」と。是に於いて諸屯邸に至り、諸顧、陸の官兵の役使及び逋亡の藏さるを檢校し、悉くの事を以て言上されば、罪なる者は甚だ眾し。陸抗は時に江陵の都督と為れるも、故に下りて孫皓に請い、然る後に釋さるを得る。

(政事4)



賀邵
賀斉(がさい)という、三国志演義には登場しないため、どうしてもマイナー扱いされるけれども、孫権(そんけん)の代の筆頭名将の一人として挙げられる(何せ南方攻略の責任者だったものだから()(しょく)との戦いにあんまり絡んでない)人がいる。その賀斉の孫。ちなみに原文にある「太傅」は、国の元老、みたいな位置付けである。そこまでを把握していると、ちょっとした水戸黄門ぶりを楽しめる。というか調べれば調べるほど賀氏が大物過ぎて笑うしかないです。
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