王綏   父を思う

文字数 627文字

孝武帝(こうぶてい)からの寵愛をいいことに
好き勝手していた、
太原(たいげん)王氏の王国宝(おうこくほう)
彼の好き放題を憎んだ王恭(おうきょう)は、
荊州の殷仲堪(いんちゅうかん)桓玄(かんげん)と結び、
反乱の軍を立ち上げた。

荊州と建康の間を守っていたのは、
よりにもよって王国宝の兄、王愉(おうゆ)
桓玄らを防げるだけの軍略などない。
王愉、豫章(よしょう)に逃亡した。
生死のほどは不明。

この時息子の王綏(おうすい)建康(けんこう)にいたのだが、
そのニュースを聞き、愁いを顔に浮かべ、
衣食住にまつわる
あらゆる生活グレードを下げた。

時の人は、そんな王綏の行動を
「親に何があってもおかしくない、
 そのことを覚悟した孝行息子なのだ」
と評価した。


とはいえ王愉の妻は桓玄の姉。
ついでに言えば王綏は桓玄の甥である。
なので見つかった後には
改めて召し抱えられ、
桓玄時代の幹部として
ブイブイ言わせている。



王僕射在江州,為殷、桓所逐,奔竄豫章,存亡未測。王綏在都,既憂慼在貌,居處飲食,每事有降。時人謂為試守孝子。

王僕射の江州に在せるに、殷、桓に逐わる所と為り、豫章に奔竄せば、存亡は未だ測らず。王綏の都に在せるに、既に憂慼を貌に在し、居處にて飲食せるに、每事にて降を有す。時の人は「試守の孝子」と謂いたるを為す。

(德行42)



王愉、王綏
桓玄の時代には姻戚としてぶいぶい言わせるも、間もなくクーデターを起こした劉裕(りゅうゆう)によって権威失墜。その劉裕に歯向かおうとしたところ先回りして殺された。宋書では常々劉裕のことを軽んじていたとかも書かれているのだが、桓玄と結んでた盛族なんてそりゃあ狩るわな、という印象しかない。
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