王珣2  殷仲堪を警戒す

文字数 767文字

殷仲堪(いんちゅうかん)孝武帝(こうぶてい)からのゴリ押しを得て
荊州(けいしゅう)刺史(しし)として任地に赴任しようか、
というときのことだ。

王珣(おうしゅん)、殷仲堪に質問している。

「民に生を全うさせるを曰く、徳。
 民をあたらと害せぬを曰く、仁。

 しかるに刺史の職務とは、
 まさに殺戮を旨とする。
 不祥の器を操り、乗じ、
 卿よ、不祥のことを為しはすまいな?」

すると殷仲堪は答える。

「古の裁判官、皋陶(こうとう)は刑法を作ったが、
 それをもって愚かである、
 と呼ばれただろうか?

 孔子(こうし)は魯にて判事の職に付き、
 間もなく違反者を処刑した。
 これをもって不仁と言われただろうか?

 そういう事だよ」



殷仲堪當之荊州,王東亭問曰:「德以居全為稱,仁以不害物為名。方今宰牧華夏,處殺戮之職,與本操將不乖乎?」殷答曰:「皋陶造刑辟之制,不為不賢;孔丘居司寇之任,未為不仁。」

殷仲堪は當に荊州に之かんとせば、王東亭は問うて曰く:「德は居全なるを以て稱と為し、仁は物を害さざるを以て名と為す。方に今、華夏を宰牧せんとせるに、殺戮の職に處り、與に本を操じ將に乖ぜざらんか?」と。殷は答えて曰く:「皋陶は刑辟の制を造り、不賢を為さず。孔丘は司寇の任に居り、未だ不仁を為さず」と。

(政事26)



王珣と言えば、殷仲堪が荊州刺史、つまり西府軍の長になったのを聞いて「国の亡ぶ兆しだ!」まで言い切った人である。今回の条と併せて読むと、桓玄(かんげん)の台頭を抑え切れないことを警戒してたんじゃなくて、殷仲堪そのものの反逆を警戒してたのね。そんな大それたことできるキャラじゃなかったんじゃないかなこのガチャ目、とは思うけど、まぁそう言うもんなんでしょう。

つーか王珣のコメントを縫い合わせてみると、「殷仲堪がまさにいま引き合いに出した皋陶や孔丘のごとき振る舞い、俺にならできるだろう。けどお前にゃ無理だ」みたいな内容になってきますわね。すげえわ、この人の自負心。
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