周顗4  私は柱

文字数 457文字

周顗(しゅうぎ)さんが東晋の柱として
辣腕を振るい始めた頃のことだ。

ある宴席で、顧栄(こえい)の息子、顧顕(こけん)と同席した。

顧顕、周顗さんに酒杯を進める。
だが周顗さん、そいつを受けない。

すると顧顕、今度は柱のほうに向かった。
しかも、柱に向けて酒を勧める。

「なぁ、柱よ。
 家を支える立場ってのは、
 ああ己惚れていて
 大丈夫なものなのかね?」

そのチクリとした一刺し、
周顗さんのツボにはまった。

こいつは面白い奴だぞ、と、
以降周顗さんと顧顕、
仲良しになったそうな。



顧孟著嘗以酒勸周伯仁,伯仁不受。顧因移勸柱,而語柱曰:「詎可便作棟梁自遇。」周得之欣然,遂為衿契。

顧孟著の嘗て酒を以て周伯仁に勸めるに、伯仁は受けず。顧は因りて移りて柱に勸め、柱に語りて曰く:「詎んぞ便ち棟梁に作し、自ら遇さるべきや?」と。周は之を得て欣然とし、遂には衿契を為す。

(方正29)



顧顕
若死にしてしまったため、まるで事跡が残っていない。ついつい現代の感覚で考えちゃうけど、この時代の夭折率って今とは比べ物にならなかったんですよねぇ……しかし周顗さんのこの傲慢さ。おさすがである。
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