陳寔4  袁公の圧力

文字数 1,296文字

陳紀(ちんき)が十一歳のとき、
袁紹(えんしょう)の祖父、袁湯(えんとう)のもとに挨拶に行った。
そこで陳紀、袁湯より質問を受ける。

「そなたのご尊父は、治所の太丘(たいきゅう)県にて、
 大層な評判であるな。
 いったい、どのような政を
 なしておるのだ?」

陳紀は答える。

「我が父は太丘にて、
 強者は徳をもって感服させ、
 弱者は仁愛の心にて寧撫しております。

 その為、穏やかに
 そこにありながらにして、
 ますますの尊敬を集めております」

ほほう、と、袁湯、更に聞く。

「以前、わしは(ぎょう)にあって、
 ご尊父殿と同じことをなした。
 はてさて、これはそなたのご尊父が
 わしを規範としたのかな、
 それとも、わしがそなたのご尊父を
 規範としたのかな?」

この言外のプレッシャー……!
うかつなことを言えば
袁湯のプライドを損ね、
陳寔の立場も危うくなるアレだ。

が、陳紀。見事にかわす。

周公旦(しゅうこうたん)と、孔子(こうし)
 このお二方は時代もふるさとも
 大きく異にしておりながら、
 そのひととの交わり方やふるまいを
 同じくしております。

 そして、袁公。
 周公旦も、孔子も、お互いから
 直接は学んでおりませんよね?」



陳元方年十一時,候袁公。袁公問曰:「賢家君在太丘,遠近稱之,何所履行?」元方曰:「老父在太丘,彊者綏之以德,弱者撫之以仁,恣其所安,久而益敬。」袁公曰:「孤往者嘗為鄴令,正行此事。不知卿家君法孤?孤法卿父?」元方曰:「周公、孔子,異世而出,周旋動靜,萬里如一;周公不師孔子,孔子亦不師周公。」

陳元方の年十一なる時、袁公に候す。袁公は問うて曰く:「家が君の太丘に在りて賢なること、遠近は之を稱う。何ぞを履行せる所なるか?」と。元方は曰く:「老父は太丘に在りて、彊者は徳を以て之を綏んじ、弱者は仁を以て之を撫さば、其の安んずる所を恣とせること久しくして、益ます敬まわる」と。袁公は曰く:「孤は往ましきに嘗て鄴が令と為り、正に此の事を行う。知らずや、卿が家君の孤を法としたるか、孤の卿が父を法としたるかを?」元方は曰く:「周公、孔子は世を異にして出づれど、周旋動靜は萬里にても一なるが如し。周公は孔子に師せず、孔子も亦た周公に師せず」と。

(政事3)



いや、わかってるんですよ? マイルール長官どのが誰からも敬われてたってことは。まぁアレよね、どんな行動も、どんな人がやるかによって意味合いが変わってくるってことでしょう。前話の所業だって、支持を受けてない県長がやらかせば弾劾のネタになったはず。「陳寔(ちんしょく)様ほどのおかたがそれをやるなら、それは良きふるまいである」みたいなね。

袁公
原文だと誰? って感じである。劉孝標も誰なのか比定しようとしていない。更には箋疏を引いてみても、「え、陳紀が十一歳だった頃(139年)の袁氏に公爵になってたやついねえよ? なにホラぶっこいてんの?」ってツッコまれてる。うーんこの。

とりあえずの可能性としては袁紹(えんしょう)の祖父、袁湯(えんとう)でしょうかねえ。かれは146年に司空(しくう)になってて、そして世説新語の一切時系列に配慮しやがらないクソみたいな官位の用い方からすると、公の地位に登ったのが若干前後しても、ありえない話じゃない。確定はできないけど。でもせっかくなので彼ということにする。
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